東北道のサービスエリアで
何かのポスターを見た夫が、
「秋保温泉には
大滝不動尊が
あるらしいよ。
行ってみよう。」と
言いました。


秋保大滝のことを
それまで私達は
知りませんでした。


私は成田山や高尾山で
お不動様を熱心に
お参りしているので、
夫に教えてもらえて
嬉しかったです。


夫の父は足弱で
行くのはとても無理だと
思っていたのですが、
夫の母が
「行った事がないから、
みんなで行ってみましょう。」と
言ったので、
チェックアウト後に
行ってみる事に
なりました。


秋保大滝は
長雨で水量が多く、
轟々と音を立てて
ものすごい迫力でした。


秋保大滝の手前に、
東北29番札所の
滝本山西光寺という
真言宗智山派の
お寺がありました。


母方のお寺と同じ宗派で、
私はまたまた
嬉しくなりました。


平安時代に
第三代天台座主の
慈覚大師円仁様が
秋保の磊々峡に
お寺を建立しようとしたけれど
地主に許されず、
山形県の山寺(立石寺)を
開山したそうです。


その後再訪した慈覚大師は
この地に霊力を感得し
秋保大滝で100日の荒行の後
不動尊を自ら刻み、
西光寺を開山したそうです。
だから西光寺は
立石寺の奥の院と
言われているそうです。


私がこのブログを書く
きっかけになったのが、
長野の善光寺で出会った
慈覚大師の座像で起こった
不思議なことでした。


それから慈覚大師のことを
敬愛申し上げているので、
さらに嬉しく思いました。


滝に向かう道の手前に
不動尊があります。
神仏習合の名残で
鳥居がありますね。



この木がすごく大きくて、
とっても素敵でした。




緻密な彫刻が
びっしり刻まれています。


三人がお参りするところを
夫が撮った写真には、
なぜか緑色の光の帯が
写っています。



緑が清々しくて、
心身が洗われるような
心地がする、
とても気持ちの良い所でした。


震災復興の募金があったので
募金しました。


不動堂の隣にも
ひっそりと
お堂があったので、
見てみました。


西光寺中興の
木食知足上人の
座像が祀られていました。


知足上人は
滝の原の佐藤家に生まれ
幼名は太作と言いました。
母親が目の病で
苦しんでいるのを見て
大滝不動尊に祈願した所
快癒した事から、
不動堂別当順昌法師の法弟となり
大崎八幡宮別当龍宝寺で得度して
岳運と名前を
改めたそうです。


その後沢股山の大岩に籠り
断食の行をしたり
羽黒山荒沢寺で
千日の間、五穀を断つ荒行を
何度も行い、
木食知足と呼ばれたそうです。


現在の不動尊と不動堂は
知足上人が喜捨を仰いで
20年余り奥州を巡って
再興したものだそうです。


不動尊は仙台城下大出屋の
津田甚四郎の作だそうです。


不動尊と不動堂が
再建された後、
知足上人は1828年9月5日に
諸人の大願成就を祈念して、
大滝に身を投げて
遷化したそうです。


ここまで読んで私は
当時橋とか堤とかお堂とかを
建てる時は
人柱を立てる事があったので、
知足上人が人々にかわり
その役目を担ったのではないかと
思いました。


今の時代の私が
その時の人々の思いを
完全に理解することは
出来ないけれど、
私は知足上人に敬服して、
開山堂の前で祈りました。


すると急に、
暗くて中がよく見えなかった
お堂の中から
顔が浮き上がるように
飛び出てきて、
目が閻魔様みたいに
すごい眼力で
ぎょろっと光ったので、
声は上げませんでしたが
ものすごくものすごく
びっくりしました。


善光寺の慈覚大師様の像と同じく
この像にも、
魂が入っているんだ❗️と
思いました。


それで改めて、
自分の願い事を祈願しました。


久しぶりに
本当にびっくりした
不思議な出来事でした。


きっと、知足上人は今も
いっしんにあのお堂で
民の幸せと国の安寧を
祈り続けているのだと
思います。


偶然のお導きで
家族みんなが
秋保大滝不動尊に
お参り出来た事に、

知足上人様の事を
知ることが出来た事に
本当に感謝いたします。
おねがい❤️


(追記)
滝に身を投げる荒行は、
土中で読経しながら
即身成仏となる行と同様に
即身成仏となる行だと
いうことが、
後で調べて
分かりました。


知足上人様は
滝と自分を
一体化させることで、
御仏となって
秋保大滝不動尊の
守護として
永遠にこの地とこの地の民を
守っているんだなと
思いました。