東日本大震災が
起こる前から、
3月になると
ざわざわしていました。


元々お彼岸の前は
そうでしたが、
東京に来てから
少し早まりました。


毎年3月になると
色々あります。


しかし色々工夫して、
周波数をずらすことが
出来るように
なりました。
年々楽になっています。


東日本大震災が
起こる前は
東京大空襲の3月10日が
あるからかな…とも
思っていました。


20年前
3月に東京に引っ越した
次の日から、
手足が痺れたり
めまいがしたり
吐き気がしたり
ひどい頭痛がするなど
症状が出ました。


新居の化学物質アレルギーや
MRIなど、
色んな検査を
しましたが
結局原因がわからず、


お医者様には最終的に
環境が変わった事による
精神的なショックによるものと
言われました。


私の中では実は、
少しその自覚も
ありました。


東京に
引っ越す前の地では
私はフラワーアレンジメントや
茶道や幼稚園や小学校で
たくさんの楽しい
繋がりが出来ていて、

結婚してから一番
楽しく充実した毎日を
過ごしていました。


子供達も習い事や幼稚園、
小学校で
今までで一番
楽しそうに
過ごしていました。


素晴らしい日常を
全部置いて
東京に家を買ったのは、
転勤族の宿命である
3年ごとの引っ越しを
やめる為でした。


夫がどこに異動しても
一番通勤に負担のない
東京を選んだのは、
家族でよくよく
考えて決めた事です。


これが最後の
引っ越しだからと
自分にも子供達にも
言い聞かせて
納得して
決断しましたが、


本当は自分自身が
とっても
とっても、
今までで一番
辛かったんです。


あんまりたくさんの
送別会をしてもらって、
あんまりたくさん
目が溶けるほど
みんなで泣いて、


荷造りやら手続きやら
頑張って
引っ越しが終わった
次の日、
急に起き上がれなく
なったんです。


父が亡くなってから
3年くらい
精神的にかなり
辛かったのですが、
学校で忙しくして、
乗り切りました。


阪神大震災の時は
夫と3日連絡がつかず
生死がわからない中、

生後1ヶ月の次男と
3歳の長男と三人で
空のスーパーを回ったり
大変だったのですが、

その直後
関東への
引っ越しが決まり、
やることがありすぎて
ショックを感じる
精神科な余裕さえ
ありませんでした。


関東に来てからも
次男のひどいアトピーと喘息
会社の退職、

夫はいつも激務なので
知らない土地で
ワンオペの育児や通院など
大変な時期が続きました。


次男がよく
喘息の発作を起こして
いたのですが、
夫が深夜になっても
仕事で家にいない為、
病院に駆けつける為の
車の免許も取りました。


体が悲鳴をあげる
暇もなく、
若かったので
なんとか乗り切って
しまっていました。


その時抑えていた
辛さやら
ショックやらが、
この時の引っ越しで
蓋が開いたようです。


この時は、
自分の中の
疲れてしゃがみこんで
前に歩けなくなっている
自分に、

子供の自分に
一緒にしゃがみこんで
声をかけるイメージで、

「お友達には、
会いたくなったら
電車に乗って
いつでもまた会えるから
大丈夫。

お稽古ごともサークルも
続けたかったら
電車に乗って
続けられるから
大丈夫。

本当に大切な人も
思い出も、
全然なくなって
いないから
大丈夫だよ。」と
ずっと言い聞かせ続けました。


そして自分に
言い聞かせた通り、

子供達と出来る限り
機会を見つけて
折々に前の土地に通い、
お友達との交流を
続けました。


「人との別れや
別れの場面などの
悲しい事を体験したり
見聞きすると、
スイッチが入りやすい」
ということが
体感的にわかってきて、
自分でなるべく
避けるように
気をつけていました。


こうして少しずつ
東京での生活に慣れて
10年たった
3月に、
東日本大震災が
起きました。