私は、
人に今まで言えなかった
自分の特異な体験を、
今回初めて
ブログに
書き綴ってきたことで、


はっきりわかったことが、
一つだけ
あるんです。


どうして私達家族が
こんな目に遭わないと
いけなかったのか?


どうして
優しい父が、
優しい妹の夫が、
亡くならないと
いけなかったのか?


私達は
こんなにも愛する人を、
どうして救って
あげられなかったのか?


その事を
ずっとずっと、
ずっとずっと、
考え続けてきて、

やっと
わかったことというのは、


人間には、
愛が行動原理になっている人と、
恐怖が行動原理になっている人の
二種類
存在するようです。


恐怖は、
処罰感情とか
被害妄想と
読んでもいいかもしれません。


恐怖をもって動く人は、
「こう思われたらどうしよう」
「足元を掬われるんじゃないか?」
「人にこう言われたら嫌だ」
という被害妄想のような
強迫観念が、
まず根底にあるようです。


その心配から
自分を解放する手段として、
勝手に仮想敵を妄想して、

その人や物を
攻撃したり、
批判したりすることで
自分を防御しようと
するようです。


いじめというのは、
意外なようですが
愛をもって行動する人に
自分が脅威を感じて、
一方的に処罰しようとする感情から
来ているようです。


自分の粗には目をつぶって、
人の粗を探して
批判するのは
とても簡単です。
欠点のない人は
この世にいないからです。


そして、
ここが本当に困る事なのですが、

いじめる人がいじめられる人に対し
なぜ脅威を感じるかというと、

いじめられる人は
愛が行動原理の人です。
いじめる人には
その行動原理が
理解できないからです。


愛が行動原理の人は、
相手を出し抜いたり、
相手を貶めたりする発想が
そもそもありません。


いつも朗らかで、
愛情深くて、
自分の心の思いを
素直に行動で表現するので、
人は引き付けられます。


いつも相手の顔色や、
反応を見て
実は心が不安定で、
戦々兢々としている
恐怖で一杯の人は、

今はそうではないけれど
相手が自分の地位を脅かして、
馬鹿にしてくるのではないかと
気が気ではないのです。

だから
相手を批判して、
自分から先制攻撃を
しかけるのです。


愛が行動原理になっている人は、
恐怖が行動原理になっている人の
思考パターンが読めないので、
混乱します。

次々と
降りかかる火の粉から
精一杯自分を守ろうと
抗弁しても、
そもそも埒もない
言いがかりなので、
効果はあまり
ないのです。


大昔から、
数々の讒言や謀反も
このような仕組みで
起きたのだと思います。


この場合、
教師や上司が
愛が行動原理の人の場合、
いじめられている人の言うことは
概ね信じてもらえますが、

いじめている方の
様子を慎重に観察したり、

優しく対処して、
逆効果を招いたりして
往々にして失敗します。

愛の人だから、
深層心理では
立ち向かうのが怖いのです。
だから、最初は
いじめている人の愛に
訴えようとするのです。
しかしそれでは駄目なんです。
大甘です。


私は、上のような、
逃げてかかる教師や上司に
義憤を覚えます。


教師や上司が
恐怖が行動原理の人の場合は、
逆にいじめられている人の
いじめられている根拠を
まず探そうとします。

処罰感情が先に立つので、
恐怖の人は
いつでも猜疑心いっぱいです。

馬鹿にされないように、
舐められないように、
相手の言うことを
まずは疑ってかかるのです。

また
自分自身も
恐怖感情が強いので、
恐怖を持っている人に
同調しがちです。
そして人の粗を探すのが
基本的に大好きなのです。


そんなわけで、
愛が行動原理の人は
恐怖が行動原理の人に対して
ほとんど丸腰です。

相手に復讐したり、
反撃しようとは
夢にも思わないので、
学校に行かなくなったり、
会社をやめたりします。


私は基本、
逃げた方がいいと思います。

では、
逃げてどうするか?


この問題は
戦いではないので、
勝ち負けはありません。


愛が行動原理の人には
自然が行っているのと
同じ方法があります。


どんなに痛めつけられても、
倒れそうになっても、
何度でも、
立ち上がって
愛の種を蒔き続けること。


自分を攻撃した相手を
許すというよりは、
忘れる事。


恐怖に
囚われている人は、
どんなに裕福で幸せそうでも、
いつまでも心配の種が
絶えずに、
人の足を引っ張ったり、
引っ張られたりして、
あくせく一生を
過ごすばかり。

そんな人たちは
ほっとけばいいのです。


周りの人や物に、
楽しくなるような話や、
優しい言葉や、
明るい笑顔を
振りまいて、

自分のまわりを、
少しずつ、
光でいっぱいにすること。

少しずつ、
明るい場所を増やすこと。


私はこの事を学ぶために、
人生で
色んな過酷な経験を
してきたのだと、
今でははっきり
わかりました。


私は学んだので
もうその問題は起きないし、
今は愛の人を
助けて支えている
立場になりました。


私は会社で
上の立場の者として、
恐怖の人には厳正に対処し、
愛をもって、
愛の人を守り抜こうと
決めています。


開眼法要と、
あと大嘗祭で、
私は
不動明王や
毘沙門天に、
神様に
そのように誓いました。


愛と慈悲で
自分の周りを
これから少しずつ、
よくしていきます。


今日も笑って、
愛の種を
蒔きに行きます。