昨年12月に私は
母の依頼により
母が長を務めていた
社会福祉団体を閉じました。


会計と書記の2人は
コロナがおさまった後も
会員を増やそうとせず、

会のお金で遊び歩いては
適当な活動報告を
市に提出していました。


母が亡くなって
2人のどちらかが
長を引き継いだら、
不正はその後も
ずっと続く所でした。


私は大役を果たして
ホッとした気持ちと、

母が生きてきた証の会を
自分の手で閉じた事に、

悲しく辛くて
やるせない気持ちを
抱いていました悲しい


母から話を詳しく聞いていた
母の親友のHさんは、
記憶が覚束なくなった母のかわりに
貴重な証言や有り難いアドバイスを
私にしてくださいました。


すべて終わった事を
お礼と共にHさんに
報告していた時、

私は急に
すべてが悲しくなって
さみしくなって、

電話口で思わず
号泣してしまいましたえーん


会社で起きていた事や
母が突然ガクッと
悪くなって来た事や、

色んな心労がその頃
重なっていたのだと
思います。


一番いっぱいいっぱいだった
時だったんですよね…。


Hさんはもしも隣にいたら
私の背中をさすらんばかりに
限りなく優しい声で、

でもきっぱりと断言して、
私を強く励まして
下さいました。


「今まで大変だったね。


よく頑張ったね。


私も辛い。


お母さん、
あんなに一生懸命だったのにね…。


でもね、

お母さんの言う通り、
ちゃんとしたメンバーがいない
ちゃんと活動もしていない
会なんて、

どんなにさみしくても
これ以上残しておいたら
いけないのよ。


お母さんもきっと
心の中では●ちゃんに
ものすごく
感謝してると思うよ。」


Hさんの言葉は
とても有り難くて
嬉しくて、

まるで母のようで、

私は、

あぁ、

私の母は本当に、
本当にこの世から
永遠にいなくなって
しまうんだなぁ、

もうこれからは
私をこんな風に
優しく慰めたり
叱咤激励してくれる親は、

1人もいなくなって
しまうんだなぁ、


そうして、

どんなに辛くても私は
母なしでこれから
生きていかなくては
ならないんだなぁと
いうことが
ヒシヒシと実感されて、

昼休みに会社に戻る
街角の交差点で
信号待ちをしながら、

涙が後から後から
止まらないのでした。