被爆者の高齢化で、その日の記憶を語れる人が年々減っています。
さて今日は、こんな話をしてみましょう。
花子さん(八十八歳、仮名)は、認知症です。
若い頃は教員をしていて、生徒からも慕われる存在でした。
結婚と同時に教職を退いたあと、一男一女を授かり、母親として、妻として、また嫁として忙しい毎日を送ります。子どもたちも順調に成長、戦後の厳しい時代ではありましたが、それなりに幸せで、充実した日々でした。
そして子どもたちも自立し、それぞれ結婚。孫にも恵まれ、年老いた花子さん夫婦の生活は穏やかでした。自分の経験を生かしてボランティア活動も始めました。長く主婦だった花子さん、地域社会と関わりたくなったのでしょう。…しかし、そんなある日、花子さんは認知症を発症しました。初めは物忘れがひどい程度でしたが、だんだん症状が進み、夫を息子と間違えるなどの見当識障害や、昼夜問わずの徘徊がみられるようになりました。また被害妄想もひどくなり、夫への暴言も出るようになり、年老いた夫一人での介護がおぼつかなくなりました。息子や娘は近くではあるが離れて住んでいて、それぞれが交替で介護をするにも限界を感じ、家族で相談した結果、認知症グループホームへの入所を決めました。
グループホームに入所した花子さんは、毎日のように『家に帰りたい』と言っては、外に出ようとします…
私が最初に配属になったデイサービスでは、『認知症の花子さん』ではなくて、『花子さんが認知症なんだ、と思って関わる』と、言われました。
教員をしていた花子さん、二人の子どもの母として、妻としてまた嫁として努めた花子さん、老後、ボランティアに参加していた花子さん。
そして、認知症になった花子さん。
どんな時の花子さんも、花子さん、という1人の人間なのです。
もしも認知症でなければ、花子さんは、ボランティアをし、時には苦しかった戦争体験を孫たちにして聞かせることも出来たでしょう。
認知症になったのは、誰のせいでもなく、何か悪いことをしたからでもなくて、花子さんの運命だったのかもしれません。
花子さんの運命を完全に背負うことができないにしても、認知症になってしまった花子さんの不安や葛藤、悲しみを受け入れ、気持ちに寄り添うことで、花子さんの晩年期という人生を、心豊かで良きものにすることを考えていくのが、介護という仕事ではないかと思います。
その人の、良き人生のために、介護職はある。
だからきつくても、ファイトです

※注)ここに紹介した『花子さん』の人生は、多くのケースを参考に私が考えたフィクションです。似たケースの人がいたとしても個人を特定するものではありませんので、ご了承くださいね。
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