「赤ちゃん連れフォトグラファー」 

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「夢を諦めない!NLPマスターコーチ」 

Azusaです。 

 

ご覧いただきありがとうございます。 

 

 

投稿六百七回目は 

「自主隔離明けに、最初にしたこと。

母の眠るお寺へのお参りと、

7年ぶりのお世話になった方との再会。」 

について書きたいと思います。 

 

 

 

(初めてお越しの方は 

こちらの自己紹介をご覧いただけたら 

嬉しいです!) 

↑ ↑ ↑ 

自己紹介、リニューアルしています! 

 

 

 

 

 

 

14日間にわたる
京都での自主隔離を終えて

東京に戻って来ました






こちらで1週間を過ごした後
またタイへと帰る予定です。







隔離が明け
ようやく自由の身となった昨日は


京都からもう少し南へ
足を延ばして




母が眠る大阪のお寺へ

お参りに行って来ました








母が亡くなったのは
一昨年の3月




新型コロナウィルスの感染が
世界的に拡大し始め

世界の行き来が止まる
直前
のことでした。







その報せを受けた時私は
タイではなく

隣国のラオスにいました




強盗に刺され
1ヶ月半入院していた夫が
 

ようやく退院し


事件によって遅れていた
転職に際するビザ取得の手続きで

タイ国外に出る必要があったため
でした。






その際

当初は日本に行くことを
予定していた
のですが



日本がタイ政府の指定する
「ハイリスク国」に
含まれてしまっていたため


日本行きを
泣く泣くキャンセルし




代わりに

まだ行き来の可能だった
ラオスでビザを取得していたのです。









母が亡くなったことは

まさに青天の霹靂でした。






それというのも
 

 

母はその報せのつい数日前まで

タイにいたのです。





しかし


タイから日本へと帰った際に
私は母を見送ることは無く


実際に顔を合わせたのは
それよりも1ヶ月前のことでした







その際私は

母に「日本に戻って欲しい」
頼んでいて



最後は

ろくに挨拶もせず


目を合わせることも無く別れ





結局
それきり
になってしまったのでした。



「【ありがとう、お母さん②】 

30年間、向き合い続けた母への思いと、

母との最後の会話」 







訃報を受けて

一度は行くことを見合わせた
日本へと飛び




何とか
母との
最後の対面を果たし



また
 

母が生前望んでいたような形で
火葬と
納骨を済ますことが出来た
のでした。










その母が
「納骨を希望していた場所」


大阪の天王寺にある一心寺





こちらのお寺では

 

納められたお骨で

10年に一度
仏像を作っていただけ



参拝もいつでも可能
です。



納骨以来初めての参拝はこちら
「1年半越しにようやく叶った、

母が眠る大阪・一心寺への参拝」






実際に
母のお骨が仏像になるのは

もうしばらく先のことなのですが


 

 

まだまだ
なかなか思うように
日本に戻って来ることが出来ない状況

でもあるため


 

今回の滞在でも
何としてでも訪れたい場所

 

でした。







そして昨日
 

 

念願叶って

母に新年の挨拶をしに行くことが

出来ました。









お正月三が日だけあり


いつにも増して

参拝客で境内は溢れ返っています。





お線香を買って火を付け

 

 

 

香炉に立てて目を閉じると




やはり
知らず知らず

目からは涙が
零れて来てしまいます。









どれだけ親孝行をしたとしても
 

きっと「十分だった」と思えることは

無いだろうし

 

 

母の人生が

幸せなものであったかどうかは
母にしか分からないことで


 

残された者は
きっと幸せだったと信じるより他無い



 

そう信じるようにしてきたけれど





それでも
 

 

 

 

まだ母が生きていてくれたなら

日本に
帰って来る場所があったなら

子どもたちの成長を見届け
一緒に喜んでくれたなら

大好きなお酒を
もっと一緒に飲めたなら




そう思わずにはいられない私がいて





都心のワンルームの狭い部屋で

スーパーで買った出来合いのものながら
私の好物を揃え

いつも笑顔いっぱいで出迎えてくれた

母の顔が思い出されて


涙は止め処なく溢れてきます。








そんな私を見て
 

手を握ってくれる

子どもたちの優しさに

 

また視界が滲みながら




後ろ髪を引かれる思いで


お寺を後にしました。


 

 





参拝を終えた後は


帰省ラッシュの大渋滞の中

はるばる500㎞の道のりを
東京を目指した訳なのですが



 

その道中に伺ったのが



もう20年来の付き合い


最初の社会人時代の先輩のお宅

でした。







高卒で

公務員として働くことになった私は


当然ながら
社会のことを全く知らない
生意気な若造
だったのですが




当時から今に至るまでずっと
気に掛けてくださっている

 

その先輩。







しかし
 

 

海外で生活するようになってからは
なかなかお会いする機会が無く

 

再会は
実に7年ぶりのことでした。







7年前には
まだ小さかった長女と次女は
 

もう立派に大きくなり


おまけに今回は
三女も増えていて

 

月日の移ろいを感じるものの


 

 

ひとたび話し始めると
話題は尽きず

 

久し振りとは思えない程
寛いでしまいました








すっかりご馳走になり
お腹もいっぱいになった頃

 

何かの話の流れで
先輩が

 

 

「私はあずの

お母さんだと思っているから」


とおっしゃってくださったのですが




午前中に母のところへ参拝に行き
感極まってしまっていただけに


その言葉がとてもありがたく
胸に響いて




ものすごく温かい気持ちに

包まれながら
 

 

お宅を後にしたのでした。









新年の幕開けは

 

 

このような

 

感謝の気持ちで満たされた

出来事と共に


始まったのですが




この気持ちをずっと持ちながら
 

一年を過ごしていければと思います!

 

 

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!