「赤ちゃん連れフォトグラファー」
×
「夢を諦めない!NLPマスターコーチ」
Azusaです。
ご覧いただきありがとうございます。
投稿五百七十二回目は
「1年半越しにようやく叶った、
母が眠る大阪・一心寺への参拝」
について書きたいと思います。
(初めてお越しの方は
こちらの自己紹介をご覧いただけたら
嬉しいです!)
↑ ↑ ↑
※自己紹介、リニューアルしています!
2ヶ月に渡る一時帰国から
タイへと戻って来て
ASQという
タイ政府の指定するホテルで送る
隔離生活も
12日目を迎えました。
今朝は
滞在中3回目となる
最後のPCR検査が行われ
「ようやくここを出られるまでの
カウントダウンに入った」
という思いと共に
前向きな感情が
久しぶりに自分の中に
湧き起こってきているのを
感じています。

3人娘も3回の検査、よくがんばりました
隔離生活といえば
思い起こされるのが
1年半前に母が亡くなった際に
やはりコロナ禍に母子4人で
一時帰国し
急逝した母との
最後のお別れを
1週間で済ませて
戻って来た時のこと。
「タイでロックダウンが
開始されるらしい」
そう友人から聞いた私は
急遽
タイに戻る日程を前倒しして
もう数日滞在予定だった宿も
引き払い
ロックダウンが始まる前日に
タイに滑り込みで入国したのでした。

当時はまだ
14日間を自宅で過ごすことが
認められていたため
夫のみが
近くのホテルへと移動し
私たち4人は
自宅で引きこもり生活に。
それから
日本を含めた海外からの
タイへの渡航規制が始まり
タイ在住の日本人が
タイに戻れない
といった事態にまで
発展していった
タイー日本間を取り巻く
新型コロナウイルスの状況を
目の当たりにしながら
非常にばたばたとしたものには
なってしまったものも
最後のお別れが
出来ただけでも良かった
また来年
お寺で執り行われる法要の際に
しっかりと弔いをしよう
そう思うことで
どこか後ろ髪引かれる気持ちに
けりを付けていました。
しかし
それから1年近くが経とうとしても
感染拡大が収まる気配は無く
お寺での法要は
中止が決まってしまいました。
それならば
法要の行われる予定だった4月
ではなく
母の亡くなった3月に
一度帰ろうかとも考えたのですが
子どもたちの学校の
スケジュールを考えると
たった数日の滞在のために
前後2週間ずつの
隔離期間を取ることになり
それはあまりにも
非現実的だったため
泣く泣く
夏休みまで待つことを決めたのでした。
そして
ようやく1年半越しの
母が眠るお寺への参拝が
この一時帰国で実現したのです。

母の骨が納められているのは
大阪の天王寺区にある
一心寺。
母は
私たちにを含めた後世に
「面倒を掛けたくない」という思いで
生前から
生家の墓に入るのではなく
こちらのお寺への納骨を
希望していました。
そうして納められたお骨では
10年に一度
仏像が作られることになっており
私たちは
いつでも
母に会いに来ることが出来る
という訳です。
次回仏像が作られるのは
6年後が予定されていて
実は
まだ母のお骨が用いられた仏像は
無かったものの
とにかく母に会いたい
という思いで
納骨以来
1年半ぶりに
母の死は
あまりにも突然で
しかも海外で
その訃報に接した私には
一体何が起こったのか
よく分かりませんでした。
何しろ母は
夫が強盗に刺され
病院に朝昼晩と通っていた私を
手伝おうと
亡くなる1ヶ月前まで
単身タイに乗り込んで来ていた程に
元気なはずだったのです。
当時は
まだ新型コロナウイルスについて
分かっていないことも多く
ダイヤモンド・プリンセス号で起こった
集団感染の発生のニュースが
連日報じられていたこともあって
コロナ禍に
タイと日本を行き来することを
躊躇う気持ちもあったものの
最後に
母の姿を一目見たい
そして
母に起こったことを
出来る限り明らかにしたい
という一心で
日本へと飛びました。
結果的に
家族や刑事さんと直接話をし
様々な情報を整理するうちに
「おそらくこうだったのでは」という
自分の中では合点のいく
結論らしい結論を
導き出すことが出来て
また
火葬が行われる前に
ほんの短い時間ではあったものの
母の最後の姿を
直接この目で見ることが出来たことが
突然の悲しい出来事を
現実のものとして受け入れる上で
私にとって
とても重要なことだったと
改めて感じています。
今でも
母を想う時は
その最後の姿を思い浮かべます。
叔父や刑事さんには
「やめておいた方が良い」
と散々止められた程に
変わってしまっていた
母の姿ではありましたが
薄暗がりの中でも
私にはそれが
紛れもなく母だということが
分かったし
そしてそれが
私が最後にこの目で見ることが出来た
母の姿だからです。
タイに戻ってからの私は
女手一つで妹と私を育ててくれた母を
あまりにも急に失ったことへの悲しみや
母に対する感謝と共に湧き起こる
様々な後悔の念など
多くの感情が入り乱れるに任せ
泣いてばかりの日々を過ごしていました。
1年半経った今でも
やはり母のことを思い浮かべると
泣いてしまうし
おそらく空で再会出来るまで
それは変わらないでしょうが
そうした自分も受け入れて
たくさん笑って
後悔の無い人生を歩むことが
今の私が
母に出来る親孝行かな
と思います。

この日は
それまで滞在していた東京から
最後の1週間を過ごす京都に
移動する日で
大荷物を抱えてのお参りだった
こともあり
それ程長く
留まることは出来ませんでしたが
それでも
母のお骨が納められて以来
初めてのお参りを果たすことが出来て
大分
心が晴れたように感じられました。

滅多に無い機会なので
子どもたちに
少し大阪の空気も味わせてあげたい
という
気持ちもあったのですが
今回は
駅ビルで明石焼きを味わうだけに留めて
また出来るだけ早く会いに来ようと
誓ったのでした。

明日からは
東京で過ごした
隔離明けからの1ヶ月を
振り返りたいと思いますが
何となく
人に会うのもどこかに出掛けるのも
憚られてしまって
実は今回出来たことは
そう多くはありませんでした。
その中でも
「これは出来たら良いな」
と思っていたことが実現出来た
3人娘の七五三撮影について
書いていきたいと思います。
