ブログネタ:長生きしたい?
参加中長生きしたいか、そうでないか、って聞かれたら、
答えは、どっちでもいい、になるかな
答えは、どっちでもいい、になるかな
もしも、明日までの寿命しかないと言われたとしても、
もう十分生きたから、それでも良いかなと
思ってしまう自分もいます。
でも、一方で、私がいなくなったら、
愛ネコのミラムちゃんの世話をする人が
いなくなってしまうことが心配なので、
ミラムちゃんが生きている間は、頑張らないといけないかな、
なんて、考えてしまうのも事実ですね。
まあ、そうやって、人って、いろいろと言い訳をしながら、
明日死ぬことは拒否していくのかもしれないですが
ただ、いまの年齢は、正確には秘密ですが、
若いときに比べれば、年を重ねてきた今の方が
精神的には楽に生きているなって感じます。
確かに、見た目は、だんだんと、あれになってはくるし、
運動能力も、年とともに劣ってはくるから、
運動能力も、年とともに劣ってはくるから、
若い人から見たら、年をとるって
大変で憂鬱なことのように見えるかなっては思います。
実際に、私も20代くらいのときって、
年取るのって、嫌でしょうがなかったですからね。
でも、それって、いま思うと、
表面しか見ていなかったなって思います
その証拠(?)に
孔子のとても有名な、こんな言葉があります。
子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。
ようするに、これは、
私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。
というようなことを言っているわけです。
まあ、これは孔子だから、四十になって
(気持ちが)迷わなくなって、
五十になったら、天命まで知っちゃうわけですが、
普通の人でも、ここまではいかないにしても、
若いときと同じことが起こったときに、一度、経験したことは、
若いときは、悩みに悩んだことのはずでも、
けっこう、余裕で受け止めることができるようには
だんだんと、なってくるかなって思います。
若い人から見たら、刺激がないのは
つまらないと思うかもしれないけど、
悩む時間が少なくなった分、もっと別のことが、
できるようになっていくと思うんですよね。
そんな気持ちの余裕が
六十になったら、人の言うことを
もっと素直に聞くことができるようになるのかなって
そんな風にも思います。
だって、若い人って、みんながみんなそうではないけど、
何か人から言われても、同年代の人からだと
対抗心を持っちゃったり、
目上の人からだと、正論を言われても反抗しちゃったりして、
やっぱり、なにかと大変だなと思いますしね。
まあ、それを青春と言うんですけどもね
実際、私自身も、もっと人の言うことを素直に聞けていたら、
もう少し、無駄のない人生を送っていたようにも思えますし
もっとも、それはそれで、ひとつの経験ですけどもね。
人の言うことを聞けないのもね
そうして、その調子で七十まで生きたら
人の言うことを素直に聞けるようになっていることから、
自分の思うように振る舞っても、
道を外すことがなくなってるってことなのかな。
だったら、七十まで生きるのって、
けっこう、いいかもしれないですよね
肉体的には、だんだんと衰えて、
見た目も梅干しのようになったとしても、
心に余裕を持てるようになって、
その年に応じた、いろんなものの見方が
できるようになっていくのを、ひとつひとつ
経験していくのも、けっこういいかもしれないですね
と、書いているうちに、考えが変わってるし
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