今日本屋さんでスピリチュアルの本を
立ち読みしていたら
後ろを通った女の子2人組が
「やばくない?」と呟いたのが聞こえた。
それ聞いて
一気にわたしの心がざわざわ...
「やばいってわたしのこと?」
「スピ系の本を読むってやばい奴?」
落ち着かなくなって
その場を離れました。
ゆっくり深呼吸して
意識を内側に戻す努力をしていたら
そのときわかった!
「あ!これわたしが創り出したんだ!」
って!
どういうことかというと
起きた事実だけをみると
*わたしは立ち読みしていた
*女の子が「やばくない?」と言った
だけ。
それだけ。
そう、事実はたったそれだけ。
「やばくない?」ってわたしに言ったのかも
わからないの。
なのにわたしは
「やばいってわたしのこと?」
「スピ系の本を読むってやばい奴?」
と思った。
それはわたしの創り出した
幻想なんだよね。事実じゃない。
突然ですがわたしはスピリチュアルが
好きだけどそのことを友だちに言えません。
言えないんですよ
好きなのに
なんでかというと
「やばい奴だと思われるかもしれない」から
なぜならわたしも昔
「スピリチュアルはアブナイ」と思ってたから
!!笑
いまだにスピリチュアルが好きだってことに
ちょっと後ろめたさを感じているのです...
そういう気持ちがあるから
幻想を創り出してしまったんだな〜
でさ、そもそもスピリチュアルはアブナイっていう価値観はどこからきたの?っていえば
100%自分の外側からなんだよね。
テレビや雑誌とかさ。
あと大きいのは親。
わたし(内側の意識)はスピリチュアルが好き
なのに「スピリチュアルはアブナイ」(外側の意識)って矛盾した価値観を抱くのは意識の外側の情報に振り回されてるから。
そう考えるとなにを信じているか、
どういう前提を持っているかって
すごく大事だなって今回のことで実感した

意識が世界を創るって
こういうことなんだ〜って思った。
うまく言葉にできないんだけど、
本当は起きた出来事に意味なんてないのに、
自分のもってる思い込みや前提が
目の前の事実に意味や解釈をくっつけて
幻想を創り出して気づいたら自分の信じる通りの世界になってるんだなーって。
今回のことでいえば
スピリチュアルに後ろめたい気持ちがあるから他人のつぶやきを勝手に自分にむけられたものだと解釈して、スピリチュアル好きでいることにますます後ろめたさを感じる世界をわたしが創り上げた。(ややこしい)
これ、そもそも意識を内側に向けて
集中して立ち読みできていたら、つぶやきは
耳に入ってこなかったと思うんだ。
そう考えるとやっぱり意識の向きって大事。
ちなみに今回
意識を内側に戻すのに効果抜群だったのは
「で、わたしはどうしたい?」
って問いかけでした

この問いかけをした自分からの回答は
「他人になんと思われようと自分の好きなものを好きなままでいたい」だった^^
これからは堂々と
好きなものを好きでいよう
それでは〜