「失われたアフリカの歴史」-14(伝説の都市カンバル)
 
「この大きな館は、よそ者たちがスワヒリ人に最後に行ったものを示すもので、
  1880年にイギリスからザンジバルに住むアラブのスルタンに贈られたものでした。
  イギリス人は東アフリカに広大な土地が欲しかったのですが、
  そこには1000年以上も前から住んでいたスワヒリ人がいました。
  そこでイギリス人は、スワヒリ人にはアラブ人の歴史だけだと主張したのです。
  そしてザンジバルに住むスルタンにこの建物を贈ることによって、
  東アフリカの歴史に関する新しい神話を作ることができたのです。
  そのためにスワヒリ人は誰かという疑問を持たなくなりました。」
 
ホートンは、スワヒリ人が誰かを明かすには、唯一発掘しかないと信じています。
彼の最終目的は、タンザニアの海岸から少し離れたザンジバル島の北にあるペンバ島で、
初期のアフリカ人が住んでいた証拠を発見することでした。
彼は古い歴史書に残る伝説の都市カンバルではないかと推測する古い遺跡へチームを案内します。
カンバルは10世紀からアラブ人の記録では、スワヒリ沿岸地方に誕生したイスラム都市だということです。
アフリカの最良の伝統に従って、ホートンは高いところから指示を出し、妻のケイトが地面を掘っています。
彼らは完全に崩れ落ちてしまったモスクを掘り起こすことから始めました。
ホートンは、この調査でイスラム教がどのようにしてアフリカへやってきたかが
明らかになることを期待しています。古いアラブの伝説には、こんな話が伝わっています。
 
ザンジバル考古学主任研究員ジュマは、疲れをいやしながらキャンプファイアーの前で、
こんな話をしてくれました。元々はアラブ調査隊の新聞に載っていたものです。
 
「西暦922年、アラブの船乗りがアラビア半島の南岸にあるオマーンからアンバルを目指して、
  航海を始めました。ところが嵐のためコースを外れて、ずっと南の方に流されてしまいました。
  船乗りはこの地に住む人は人食い人種だとうわさしていたので、生きた心地がしませんでした。」

 

「失われたアフリカの歴史」-13(貿易帝国を築いたのはアフリカ人だ)
 
謎はかつて繁栄した都市を築いたのは誰かということでした。アラブ人なのか、それともアフリカ人なのか。
考古学者のホートンは、アフリカの沿岸に点在する廃墟の町を研究しています。
彼はこうした都市の起源について革命的自論を持っていました。
 
「1920年代に最初に訪れた考古学者たちが廃墟を発見した時、
  当然のことながらアラブ人が建てたと思っていました。陶器のお椀や石の墓、柱の装飾、
  イスラムの礼拝堂やムナラと呼ばれる塔などを見ていると、確かにアラブ人が造ったのだと思われます。
  しかし、その解釈は間違っていて、これらはアフリカに住む人々によるものだと確信しています。」
 
これらの都市は海底に積もったサンゴを材料に作られています。
つい最近まではアラブの入植者が、奴隷を使って宮殿やモスクを建てたのだと考えられていました。
現地のアフリカ人が永続的な建造物を建てるなど考えられないとしてきました。
現在ではこの貿易帝国を築き上げるにあたって、スワヒリ人が精力的に力を発揮していたと考えられています。
サンゴ造りの裕福な町を作った商人たちは、アフリカ人であってアラブ人ではないのです。
これを解き明かすには、複雑な物語になります。
 
多くの海岸都市が没落したアフリカの東海岸は、
18世紀までイスラム社会の政治権力者であるスルタンに支配されていました。
アラブ人はスワヒリ文化発展において、アフリカ人はわき役であったと自ら領土権確保のために主張したのです。
 
10年もの間ホートンは、スワヒリ人が自らの歴史を書き換え直すための手助けをし、
彼らが正しい伝統を主張することを望んでいます。
この放置された建物は、スワヒリ人が裏切られたことの証拠だと彼は言います。
それは「驚異の館」と呼ばれているものです。

 

「失われたアフリカの歴史」-12(繁栄した海岸線はソマリアからモザンビークまで)
 
毎年インドや中東から来た何100隻もの船が商品を持って帰るために貿易風を待っていました。
10世紀までには、黄金、象牙、石英が地中海にまでもたらされました。
これだけの規模の商品活動は、ギリシャ、ローマ時代以降見られないものでした。
多くの港や都市を抱えているこの繁栄した海岸線は、現在のソマリアからモザンビークまで、
およそ2800キロの距離にわたって延びていました。彼らの交易網は、アラビアからインド、
中国まで広がっていたのです。15世紀にスワヒリ人は、中国へキリンを贈ることまでして、
宮廷に一大センセーショナルを巻き起こしました。
 
こうした異なる文化との範囲の広い接触は、コスモポリタン的な社会を生みました。
この地はアラブとインドの文化の影響を受けています。
しかし、彼らの目覚ましい成功は、軽蔑を生み、この地域も否定された歴史を生きるという悩みを持っています。
 
混乱の始まりは、まず最初のアラブ人商人とイスラム教の伝来までさかのぼることができます。
スワヒリ人は1000年の昔からイスラム教を受け入れてきました。
海のかなたに住む人にとって同じ宗教を持つことは、信頼関係を持つことができたのです。
祈りを捧げようとする人たちは、アラブ人の貿易業者もアフリカ人の商人も、
モスクからの呼びかけに、同じようにはせ参じました。
彼らは貯水槽で身を清め、それから中世の寺院と同じくらいの規模を誇るモスクに入っていきました。