「失われたアフリカの歴史」-2(ジャッカルの丘を発見)
 
800年前、ジンバブエの国境近く、南アフリカ共和国の土地に、ある王国がありました。
彼らの文明の痕跡を示すものは、遠い昔に消え去っていましたが、
この地方に住むベンダ族の人々に先祖代々の言い伝えによって、この崖の茂みの中に、
偉大な王と王妃が埋葬されていることを知っていました。
埋葬地は何千トンもの土を運び、岩だらけの崖を土でおおって作り上げたものです。
 
王や王妃の遺骸は、墓が封印される前に、黄金の宝物で飾られました。
その8世紀後の1932年、オランダ系の南アフリカ入植者の探検家が村人にうまく取り入って、
先祖たちが埋葬されている場所に案内させました。
その探検家の孫ファン・フラーンが祖父の旅の跡をたどります。
 
「祖父ファン・フラーンは、宝探しに熱中していました。
  祖父はいつも黄金を見つけだすことに情熱を傾けていて、
  ほぼ5年かかってこの場所を探し当てたのです。」
 
王家の墓を何世紀にもわたって盗掘から守り続けたのは迷信でした。
道案内のガイドでさえ、あえて丘に顔を向けようとしませんでした。
見ればすぐさま目がつぶれると信じていたからです。
 
「土地のベンダ族の人たちは、この丘をマトングーブエ、ジャッカルの丘と呼んでいます。
  ここへ来ると必ず悪いことが起きると信じているのです。
  この丘へきてまず目に入るものは、垂直に切り立った崖です。これを見ればとても登れるとは思えません。
  ところがベンダ族の人たちが、ちょうど私の後ろを通っている秘密の道を見つけたのです。」

 

「失われたアフリカの歴史」-1(アフリカ文明を白人の祖先が作った?)
 
アフリカでは多くの歴史が失われたままになっています。アフリカは忘れ去られた大陸なのです。
中世のアフリカの偉大な王たちの住む土地は、ルネッサンスのヨーロッパに象牙や黄金を供給しました。
しかし、後にアフリカに最大限恩恵を受けたアラブ人やヨーロッパ人たちは、
偉大なる陰謀をめぐらすようになるのです。
 
白人の探検家たちは、アフリカの住人が泥で作った家を建て、原始的な宗教を信ずる人たちが、
文明を持っていたとは信じませんでした。
暗黒大陸の搾取の正当化のために、彼らはアフリカ文明を白人の祖先が作ったのだと信じているのです。
 
「西欧世界では、アフリカ人には歴史がないという思いが付きまとっています。
  私の学んだオックスフォード大学の教授でさえもそうでした。
  私はそういう教授をマスコミを通じて、そのうち問い正す時がやってくるだろうと信じています。
  そうすることによって、将来アフリカの歴史というものが生まれてくるでしょう。
  しかし現時点では、何もありません。残念ながらアフリカにはヨーロッパの歴史しかありません。
  そのほかのものはすべて暗黒です。暗黒というのは、歴史のテーマにはなりません。」
 
アフリカの優れた文明は、祖先からの伝承にたよっていて、
強力な指導者によるさまざまな集団の争いは、口伝えで伝わってきました。
しかし何世代にもわたるうちに記憶は次第に薄れ、いつしか王の名前すら忘れ去られてしまいました。
文字による記録がないためにアフリカの王たちの存在も、
広大なアフリカと共に忘れ去られる運命にあったのです。

 

「諏訪湖にスポット」-3(終)(河岸段丘のメカニズム)
 
川に沿って段差のある部分が見られますが、あれはないという地形なんでしょうか?。
 
「河岸段丘と呼ばれる地形です。」
 
河岸段丘は、川が作った地形なんですか?。
 
「川の水が土地を侵食するのと、土地が隆起することでできた地形なんです。
  伊那谷は河岸段丘ができることで知られています。」
 
空から見ると高さの違いがよく分かりますね。でもこの段差、どのようにしてできるんですか?。
 
「まずこの谷に諏訪湖から水が流れていき、平らな土地、つまり川原ができます。
  川の水は川底をけずり、次第に蛇行を始め、川幅を広げて行きます。
  そして何らかの原因で土地が隆起すると、川の傾斜が増し、川の浸食作用が増します。
  そのため元の川底をさらに下げ、以前よりも低いところを川が流れるようになります。
  こうしてまた新しい川原ができ、前の川原は平らな面として残り、河岸段丘となっていくのです。」
 
水の力だけで、こんなに地形が変わるなんて驚きです。よく見ると何段も河岸段丘ができていますが…。
 
「それは隆起しては川を掘り下げ、また隆起しては川を掘り下げて、何度も繰り返した結果だと思います。
  また伊那谷の山側の段差は、断層によってできたとも考えられているのです。
  もしかすると中央構造線の影響があるかもしれません。」
 
空から見ると地形の様子や成り立ちが手に取るように分かりますね。
長野県の諏訪湖を中心に、そこで交わる2つの構造線と、天竜川の河岸段丘の様子を見てきました。
 
(おわり)