「失われたアフリカの歴史」-5(ジンバブエ=大きな石造りの家)
 
ドイツの探検家マウフは、リンポポ川の北の未探検の場所があることを耳にしました。
それからマウフは何カ月も探査を続け、ついにこの素晴らしい遺跡にたどり着いたのです。
 
「1871年9月、ほんの少し先に円形の大建造物のようなものを見つけました。
  それは花崗岩をたたきつぶした、モルタルを一切使わずに建てられたものでした。
  外側の壁は直径が140メートルもある、土地の人々はこの廃墟をジンバブエと呼んでいました。」
 
マウフはこの洗練された廃墟の姿に圧倒されました。
しかしこのような壁は原始的な黒人では作れないと信じていたので、
失われた白人の部族が建てたのだと決めつけてしまったのです。
 
「ついに私は、塔のような建造物の前で立ち止まった。それはほぼ無傷のまま立っていました。
  私は土地の人から、彼らが40年ほど前に移り込んだことを知っていました。
  それより前は誰も住んではいなかったのです。
  そう考えると、かつてこの地に白人が住んでいたものと確信します。」
 
マウフは数々の工芸品をスケッチしましたが、アフリカの黒人たちが作ったものだとは、
信じようとはしませんでした。
ついに自分の信念が正しいという証拠を発見しました。
 
「私は建物の梁から木片を削り取りました。
  それがスギノキであり、レバノンから運ばれてきたものだと分かりました。
  スギノキをここまで運んでこられるのはフェニキア人しかいません。
  イスラエル王国のソロモン王は、王宮を建てる時に大量のスギノキを使ったのです。
  この廃墟はエルサレムの神殿を真似て建てたものです。
  これだけの建物を建てられる偉大な女性といえば、
  ソロモン王を翻弄したシバの女王意外にはありません。」

 

「失われたアフリカの歴史」-4(大ジンバブエ王国)
 
オランダ人は白人も黒人も、この時代に同時にやってきたのだと教わってきました。
放射性年代測定法によってマトングーブエが西暦1200年頃だと分かると、人々は大変驚きました。
白人が入植する400年前に黒人が住んでいたとは信じられなかったからです。
学者たちは何度もテストを繰り返しました。結果はいつも同じでした。
 
「南アフリカに住む多くの白人が口にするのは割合の問題です。
  その土地の大部分はアフリカの大陸に住む人々に自由に開かれていて、
  黒人とほぼ同じ時期に到達したのだから、白人は黒人と同等の権利があるはずだと
  主張してきました。だから何百年も前に黒人が住んでいたことは、
  南アフリカで白人が身分を保証されることの根拠を揺るがすことになったのです。」
 
マトングーブエの文明は古くから栄え、黒人の手によって作られたものです。
しかしここに住んでいた人たちがどのような生活をしていたのかは、謎のままです。
おそらく彼らは家畜の群れを追って、北の涼しい高地へと移動していったでしょう。
あるいは別の牧草地に移って行ったかもしれません。しかしここに住んでいた人たちは、依然謎のままです。
 
それから100年後、リンポポ川を越えた約20キロのところで、最も素晴らしいアフリカ人の王国につながりました。
 
ヨーロッパが中世の時代で、南部アフリカは大ジンバブエ王国に支配されていました。
王たちは高さ7.5メートルの大きな円形の壁で囲まれた宮廷で統治されていました。
この王国で知られていることは極わずかで、王の名前すら住人に忘れ去られています。
分かっていることは、王たちが数千頭の家畜を飼い、象牙と黄金を東海岸のスワヒリ商人に
供給していたことぐらいです。
 
赤道以南のアフリカでの交易ネットワーク、今日共和国となっているジンバブエ共和国は、
国名を前の名前からとっています。ジンバブエとは、大きな石造りの家という意味です。
近年までその歴史は白人たちによって否定されていました。
白人はアフリカの黒人が記念碑のような建造物を作ることなど、
とてもできるはずがないと思い込まされていたのです。
何百年もの間、ヨーロッパの人々は暗黒で野蛮なアフリカ大陸のどこかで、
信じられないほどの財宝を持つ失われた白人の文明を発掘することを夢見てきたのです。

 

「失われたアフリカの歴史」-3(発掘物をプレトリア大学に寄贈)
 
丘を登り始めたとき、ファン・フラーンのチームが岩に開かれた穴に気づきました。
それは隠された岩の裂け目から頂きに通じる古代の階段でした。
ガイドたちは、マトングーブエの王の墓のある頂きへ登ることを恐れました。
途中に罠が仕掛けられていて、突然大きな岩が転げ落ち、押しつぶされないかとビクビクしていたのです。
 
しかし、一行は無事頂上にたどり着き、盗掘されずに残っていた王家の墓にたどり着いたのです。
普通は発見された黄金の品々は盗まれて、貴重な資料は闇に葬られてしまいます。
そしてファン・フラーンも初めは同じことをするつもりでした。
しかし彼は最後の瞬間、良心の呵責を感じたのです。
 
彼が発見したものは黄金の王の杖、黄金の祭器、ツタンカーメンの秘宝にも匹敵する、
小さな装身具の数々。そしてわずかながら失われた過去につながる貴重な遺物がありました。
 
南アフリカ共和国のプレトリア大学で歴史を学んだことのあるファン・フラーンは、
これらの工芸品の持つ意味をよく知っていたので、大学に寄贈することを決めました。
こうして救われたとはいえ、宝物は人々の目に触れることはなく、
考古学の保管室に収められたままになってしまいまいた。
後になって掘り出された壺は、マトングーブエに大きな居住区があったことを示しています。
しかしプレトリア大学は、今まで極一部の考古学者だけにしか見せていませんでした。
これらは、サハラ砂漠以南の砂漠で発見された最も重要な工芸品です。
撮影の時にやっとのことで持ち出してくれたのですが、再び保管室にしまいカギをかけてしまいました。
これではまるで地中に埋もれているのと変わりありません。
こうした秘密主義の全ては、人種差別政策、アパルトヘイトに根差しています。