本当の幸せって?財運って?何かを考えてみる。 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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波乱万丈くみちゃんが、普通に普通の幸せな生活がしたい!
思いが通じて夢をかなえることができたノウハウを
少しでもあなたの楽しい人生にお役に立てばと思います。
新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆さんこんにちわ。

なかなかブログも更新できない状態で申し訳ありません。

朝のお散歩で撮影。愛犬3頭と記念写真を撮った思い出の小林公園の大好きなベンチ。

 

俗にいうペットロスの影響を受けているのか

大切な身内を失ったことも手伝って

なかなかおなかの底から笑える状態には

まだ気持ちの上では、なれていません。

 

最近、ブログをあげるにも

個人情報も規制や管理が厳しくなっていて

検証例を挙げるにもなかなか例題を見つけにくくて

例題の更新が滞っています。

 

これからは、氏名は伏せて

過去の鑑定例を例題に

姓名数と名数で姓名を伏せて

今後の鑑定例を挙げていこうかと思っています。

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さて、今日は、あるお客様に過去に受けた占い鑑定で

財運がないと断言されたという話を聞きました。

 

その時にもお話したのですが

財運があるかという質問は、

結局、自分が桁違いの大金持ちになれるかどうか?

という意味での財運だと考えて良いと思います。

 

ですが、私が考える財運は、

貧乏のどん底に落ちる可能性が

低い人であるならば

すべて財運がある人ではないかと考えます。

 

今まで普通に一般的な社会生活ができる状態で

寝る場所があって毎食の食事をとることができる人は

財運がある人であると言えます。

 

だからと言っていきなりビジネスで成功して

成功者と呼ばれる人になったとしても

永久にその裕福な状態を保持することは

きわめて難しいことでもありますよね。

一時的な財運はあるという考え方になりますね。

 

いきなり災害などで住む家もなくなり

明日の生活もままならない状態になることだって

長い人生の間に出会うこともあるわけです。

 

人は失くしてみて初めて、

何でもあって当たり前ということはない事なのだ

という事に気づきます。

普通であることがどれだけありがたいことかを

身に染みて感じる事もあるのです。

 

確かに有り余るお金があれば、

人生の選択肢はとても多くなります。

物を買うのいちいち悩むこともないわけです。

二つほしいものがあれば

両方とも同時に買えばいいのですから。

 

人は欲しい物を手に入れたら

手に入れたことで感じる幸せ感はとても大きいでしょう。

ただ、それを周りに自慢したりする事で

得る優越感を感じる行為は、

あまり褒められるものではないと思います。

 

一緒に分かち合って喜んでくれる人や仲間がいて

一緒に楽しみを分かち合えるから

幸せを感じるのではないでしょうか。

分かち合える人がいる事も幸せなことの一つですね。

 

単純にご自身のコレクションが増えただけなら

個人的幸せ感は感じられるでしょうけれど

それだけに終わってしまうのは

ちょっともったいないし虚しい気持ちになりますね。

 

人にはみんな多かれ少なかれ欲がありますから

大金持ちの才能?可能性がある命式の人は

本当に幸せだといえるのでしょうか?

 

大金を手にすることは

物欲が一時的に単純に満たされるだけのもの

なのではないでしょうか。

これを財運と言っていいものなのでしょうか。

 

ちょっとのお金が揉め事の原因で

仲の良かった家族が

バラバラになったりしている現実がありますね。

 

急に裕福な親がなくなって大金を相続した場合や

宝くじに当たったということだけが

本当の意味での幸せなのでしょうか?

それを財運とかたずけてしまうのは違う気がします。

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本当の幸せの第一原則は、

体が健康であるということだと思います

 

体調を崩せば、

何一つ自分の事が出来ない状態になることもありますから。

 

私もご多分にもれず、

若い頃は一生懸命小さな夢を追って

それなりに頑張りました。

その中で多くの挫折を経験し

多くの人たちと関わりながら日々は過ぎていき

めでたく還暦を超えるところまで生きてこれました。

 

私は56歳の運気絶頂の時期に、

関節リウマチを患い、

自分で身の回りのことが一切できなくなり

まさかの車いすで介護を受け

入退院を繰り返す生活をすることを余儀なくされた

時期がありました。

 

突然変異の免疫機能異常という病気なので

残念ながら完治することのない病気と知り

本当に愕然としましたが…。

なんとか治療のかいもあって

何とか一人で自分のことをできるまでには回復しました。

若干不自由な面もあるにはありますが。

 

以前は常に日々の生活に追われ

自分の為の時間を一切取ることもできず

主人のため子どものためにと生きてきました。

たまには5時間以上、布団でゆっくり寝てみたい

というささやかな夢を持っていた時期もありました。

 

今はもうそんな生活に追われることなく

普通に寝て起きて食事もできて

贅沢にも一日の中でも時間が余って

今日は何しようかと考える時間まであるのです。

だから悲しんでいる時間もあるのですよね。

これも考えれば幸せなことなんですよね。

 

今は周りから嫌味や

意地の悪いことを言われるという

不自由な環境も一切なくなり

自分の生活だけを

自由に考えることのできる環境になったことを

本当に感謝しなければならないと感じています。

 

生きていれば当然、

避けることのできない悲しいお別れもありますが

自分自身は現実に今、生きているのです。

 

生きていることに感謝できるということを

人は今より不自由な環境にならないと

普通に対してのありがたさを感じないものなのです。

 

私は無茶をしたことがたたって

持病を持つ羽目になりましたが

それだけに健康へのありがたさを

身に染みて感じる今日この頃です。

体を壊すと本当に大変です。

 

無理をしている人、

このブログを読んだ機会に

一度、将来の自分のために

時間を作って病院で

きちんとした細かい精密検査を受けることをお勧めします。

 

精密検査を受けなかったために

症状が出てから病気が見つかった時では

すでに手遅れということだって多々ありますから。

 

私自身は、単純にいろいろなやっかい事が起きても

何とか切り抜けて生きてこられたこと自体

私には財運というかがあったのだと思います。

 

若い頃は本当につらい日々もありましたが

もう限界、ダメかも知れないという時に

信じられないような偶然という必然に出会わせてもらい

私は何とか生きてきました。

 

理不尽な目にも何度も会いましたが

私に過去理不尽な事をした人たちは

今、お世辞にも幸せな生活を送ってはおられません。

この結果を見て、

輪廻転生、因果応報の法則

必ずあると私は感じています。

 

なぜ私がこんな理不尽な目に合うんだろうと

自分の人生を恨みそうになった事も何度かありました。

羽目を外さず、逆恨みする暇もなかったお蔭様で

ただ一生懸命生きてきた事には

それなりに意味があったのだと思っています。

 

今、本当に幸せだと感じることができるのは

その多くの経験があるからこそではないかと思うのです。

どんな経験も経験したからこそ

解るものだということを学びました。

 

健康な体がある人なら

それだけでもまず幸せの一歩目を持っているわけです。

毎日の経験こそが

幸せを素直に感じることのできる人を創るものです。

 

幸せはやってくるものではなくて

自分で掴んで理解していくもののようです。

何事も全ての原因は我にありのようです。

ちょっと精神的に参っている方がおられれば

少しでも参考にしていただければ嬉しく思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

今回もとりとめのないひとりごとになりましたが

ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

 

それではまた書かせていただきます。

              日宣 拝