お別れの日と楽しかった思い出。 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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思いが通じて夢をかなえることができたノウハウを
少しでもあなたの楽しい人生にお役に立てばと思います。
新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆様こんにちわ。

 

今日も無料教室ではありません。

申し訳ありません。

次回からはいつもの数理教室をあげたいと思います。

 

私自身が故人の思い出を残しておきたく書いています。

勝手を申し上げますがご容赦願いたく思います。

 

9月16日午前3時15分

母の命の期限がやってきました。

本当に亡くなる2日前、担当医のご配慮で

直接面会で会えましたが、

最後はとても苦しそうで

ほとんど意識も戻らないままでの再会でした。

 

こんなに辛い姿を見るのなら

早く楽になれたほうがいいのにと思うばかりで

ただ祈ることしかできませんでした。

 

大型の台風14号の接近もあり

お通夜と告別式の日取りを決めるのに迷ったようなのですが

18日お通夜、19日が告別式と決まりました。

 

思い出すのはいつも笑っていた笑顔の母の姿です。

この写真はちょうど10年前の夏に水族館へ行った時のものです。

動物や生き物と遊ぶのが大好きな母でした。

子どものようにはしゃいでいた母を思い出します。

 

これも10年前に一緒になばなの里に行った時のものです。

母の人徳なのか、

台風直撃が解った19日、

午前中に予定されていた告別式には雨は一切降らず、

強風が吹くこともなく

本当に良い天気の中で穏やかに済ますことができました。

 

私自身はというと、

寝たきりで付き添いがないと

ご飯も水も飲めない15歳7か月の

ラブラドールレトリバーのハッピー君が家にいるので

自宅にそのまま置いておくわけにもいかず、

お通夜は参加した後、

告別式当日朝まで一緒にいたかったのですが

その役目は

母に一番お世話になった長男君にお願いして

私は一旦大阪の自宅に戻り

翌日、朝の告別式に間に合うように参加しました。

 

告別式の最後に母の棺桶に入れるものは

たくさんのお花の他に、

まず母の、愛用のたばこ、

山田錦と菊正宗のお酒、

お酒のあては、天狗のビーフジャーキー。

毎日晩酌にバーボンをたしなんでいたとのことで

愛飲のジャックダニエルのボトルキープのタグを

最後に持たせてあげると

集まった親族一同が、その場でどっと笑いが出ました。

そんな明るい最後のお別れでした。

 

湿っぽいのが大嫌いだった母の最期は

みんなの笑いで送り出すことができました。

 

生前母がこぼしていたことは

ショートステイが大嫌いで、

「老人扱い受けると逆に老けるわ」とこぼしていた状態。

齢、御年、90歳。

 

6月末に救急で搬送されるまで

全くいつもと変わりがなかったといいます。

 

盲腸だと思っていたのに

病院で検査を受けたら、なんと虫垂癌だとわかり

また、信じられない事に癌が全身転移していて

心不全を起こしかけるぐらい

心臓もかなり弱っているとのことでした。

 

検査入院で病状がはっきりわかったので

緩和ケアのある病院に転院することになり

その時、初めて母の状況を実家から知らされたのです。

 

病院の判断ではその時点で、

余命半年と宣告されたといいます。

 

あまりに突然の事に言葉を失いました。

今年のお正月に、ひ孫を見せてあげたいと

年も年だから、

急に何かあったらいやだから会いたいと

実家の方に連絡を入れたのですが

母はとっても元気だから

わざわざ会いに来てもらわなくてもいいと

きっぱり断られ、結局元気な時に

ひ孫の顔を見せてあげられないまま、

病院では、ほとんど意識のないままの面会だけで

母とは永遠のお別れになってしまいました。

 

医師の配慮でかなった特別面会の帰り際に

一瞬だけ意識が戻り

「わざわざ来てくれたんや。

何とか頑張るから心配せんといて。」といったのが

私の母の意識が一瞬戻った時の最後の言葉でした。

 

もっと一緒に笑って話をしたかったと

本当に後悔だけが残りましたが

これも今更悔やんでも仕方のないことです。

 

ようやく楽になれて天寿を全うしたんだと思うと

これでよかったんだと思うことにしました。

 

「私ボケてへんで」と言いながら

ボケの花の前で笑っていた母。

帽子とサングラス大好きだった母。

宝石や貴金属には全く興味を示さず

その昔、マキタの電動工具のセットを買った時は

これで何でも楽に作れると大喜びするような人でした。

 

母が若かった頃は

美術展を見に行くのが好きでした。

ユトリロ、レンブラント…

美術展から戻ってきたら

その絵がどれだけ素敵だったかを語ってくれました。

 

手先が器用で何でも修理した母。

私が小さかった頃はカメラに凝っていて

自宅で写真の現像までこなしていた母。

 

本当に楽しく愉快な人でした。

母は大阪府貝塚市の出身で

この時期は、祭りの季節。

隣町の岸和田のだんじりも大好きで

だんじりの時期になると毎年そわそわしていました。

 

丁度、母のお通夜と告別式の日は

3年ぶりの今年の岸和田だんじり祭りの日でした。

偶然ですが何か意味があるような気がします。

これもきっと母の人徳なのかもしれませんね。

 

きっと天に上りながらその前に

岸和田だんじりを見に行っているかもしれません。

斎場の帰りに、

堺市の地元のだんじり祭りの列にすれ違いました。

きっとこの日に送り出したことを

喜んでくれているのだと感じました。

ゆっくりビール片手に

ようやく一息ついている気がします。

 

私自身が破天荒な人生を送ったので

母にはさぞかし心配をかけたと思います。

ですが今、何もかもから解放されて

私はとっても幸せな毎日を送っているので

本当に安心して欲しいと思います。

 

ここに楽しかった母との思い出を残しておこうと思いました。

本当に母との思い出はかけがえのないもので

本当にたくさんの迷惑をかけました。

そんなバカ娘でも一生懸命愛してくれた母の思い。

親の愛には感謝しても感謝しきれません。

 

私が8年前リウマチを患ってからは

一緒に出掛けることもなくなってしまいましたが

その後の画像がないのが残念ですが

それまでの思い出は尽きません。

 

本当にありがとう。

私はいつでも何よりも母の笑顔に癒されます。

もう直接見れることはなくなりましたが

画像に残っている母を見るたび

感謝でいっぱいになります。

 

病床の辛さから解放されて

きっと「私死んだの?マジで?」の状態のような気がします。

母のために今日も観音経と般若心経を上げました。

安心して成仏してもらうために。

 

18日のお通夜の日は、

実は次男君の36回目の誕生日でした。

葬儀の予定も会場のスケジュールの関係で

一日おいてからのお通夜と告別式に決まりました。

そんなわけで

17日に一日繰り上げて

次男の誕生日のお祝いをすることができました。

17日の夜、

次男君の夢に母が出てきて

一緒に映画に行った夢をみたそうです。

そういえば母は映画も大好きでした。


その昔、知り合いから

大相撲大阪場所の

升席のチケットをもらった母は

その日の場所前に

売店にお酒アテを買いに行った時に

通路でロッドスチュワートに偶然出会い

「ロッド?」と声をかけたら

笑顔で振り向いてくれたそうです。

この日はロッドスチュワートの

大阪公演のある日でした。

その日以来、

母はロッドの大ファンになりました。

そんなとってもユニークな母でした。

 

こういう偶然が重なったのも

すべて母の人徳がなせる業なのかもしれません。

 

もう一緒に笑えないけど、

面白いことがあった日は必ず報告するね。

安らかにゆっくり静かに眠ってください。

本当にありがとう。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

次回はいつもの無料教室を再開します。

お待たせしていますが

何卒ご容赦くださいますようお願いいたします。

 

鑑定士も人の子です。

生きている限り

やはり別れは誰にでもいつか必ず来るものなのですね。

今日もお付き合いくださいましてありがとうございました。

  

      日宣 妙苑 拝