ひとりごと:命のある限り。 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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波乱万丈くみちゃんが、普通に普通の幸せな生活がしたい!
思いが通じて夢をかなえることができたノウハウを
少しでもあなたの楽しい人生にお役に立てばと思います。
新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆さんこんにちわ。

今日は無料教室ではありません。

何気なく感じた私個人の独り言というか愚痴です。

興味のない方はスルーしてもらって構いません。

ちょっと自分の息抜きに書かせてもらいます。

 

今、自宅では間もなく15歳6か月になる

ラブラドールレトリバーのハッピー君が

残念ながら寝たきりわんことなり

介助なしではご飯も食べられなくなってしまっています。

 

彼の奥さんのラッキーちゃんが病気で

昨年12月に14歳10か月で

ハッピー君を置いて先に虹の橋を渡っていきました。

 

2頭一緒に揃ってうちにやってきた時は

まだ2頭とも約3ヶ月の仔犬ちゃんで

2頭そろって家族の一員となりました。

 

ペットを飼うにあたって

これだけは覚悟しておかないといけないことあります。

それは、彼らの寿命は人よりは短いのです。

こればかりは絶対に変えられない宿命です。

いずれこの先に別れがやってくることの覚悟は

当時のいたずら盛りで可愛さ余って、

ほとんど考えもよぎりませんでした。

 

ハッピー君は妻のラッキーちゃんを見送るなり

全く歩けなくなってしまいました。

毎日、ご飯を食べさせ、水を飲ませ、

お粗相の後かたずけをします。

 

一日のほとんどは寝ていることが多いのですが、

目を覚ますとわんわんと、かまって欲しいと吠えます。

近くに行って頭をなでてあげると

安心するのか静かになります。

これが私の自宅での

最近の必須の日々のルーティーンなのです。

 

そんな時に、実家の弟から電話をもらい

実家の母が倒れ、救急搬送後

検査の結果、余命半年という信じられない結果をもって

緩和ケアの病院に移送されたと聞きました。

 

私の記憶では、私の母は、

何事にもとても器用で、

50代の頃は、住宅展示場で

接客のパートの仕事をしていましたが

空いた時間に、勝手に設計図を見て

イラストボードを使って

精巧な住宅の模型を作っていました。

 

その会社の社長にその腕を見込まれ

単なる接客だけのパートのはずなのに

顧客さんの家の模型を作る仕事をしていました。

 

母はそんな人で忍耐強さは半端なく、

本当に手先が器用で家にあるもの、

家電でもほとんど一人で修理するような

片付け上手で本当にまめな人でした。

 

前のブログでも書いたように

結局、元気な姿の間に会えないまま

私は、いきなり

母の命の期限を切られた報告だけを受けました。

 

少し認知症が出だしていて

最近の記憶がほとんど定着しない状態でした。

古い過去の事は

まだはっきりと記憶しているような

そんな状態でした。

 

おそらくリモート面会の事は

母の記憶にも残らないでしょう。

それでも命ある限り、映像でもいいから

リモート面会できる限り顔を合わせて、

声をかけてあげたいと思っています。

 

母はとてもプライドも高い人だったので

弱った自分を見せたくない人だということは解っています。

それだけに、こんな弱った自分を見られたということが

記憶に定着しない方が母のためなのかもしれません。

ある意味救いであるような気もします。

 

ただ、今は、私が私の気のすむように、

母の最後の時まで面会を続けるつもりです。

 

コロナ禍の中なので

直接の面会はまだできません。

2週間に一回だけの、

ZOOMを介してのリモート面会ではありますが。

全くわからないままの会えないよりはましですから。

 

ただ、リモート面会で会えた母は、

毎回、とにかく辛そうで、

まともに声も出ないような状態で

ただ、画面に向かって手を合わせて頷くだけでした。

 

緩和ケアに移送されるまでの1か月は

検査入院していたようなのですが

実家から連絡をもらった時は

すでに末期がんで心臓弁膜症も相当悪化していて

余命6ヶ月と解ってからでした。

 

私は運命学では、

宿命的に実家の親とは疎遠の命式だ

ということは知っていたけど

そういう宿命だとはわかっていても

なんだか悲しく空しい気持ちになります。

 

私は21歳の時に実家を離れてから

波乱の生活に追われて、

殆ど実家に出入りすることはありませんでした。

 

母から、弟夫婦が

実家に同居するため戻ってくると

急に伝えてきた時、

散らかった部屋を開ける元気がないから

頼むから助けてほしいと頼まれ

仕方なく、一か月空き時間を作っては

昼となく夜となく実家に車で毎日通い

自宅の整理と掃除をしに行った日のことを

思い出しました。

 

あの時は本当に喜んでくれて

「私より整理上手やん」と褒めてくれました。

そんな些細なことでも

私には本当にうれしい出来事でした。

小さい頃からあまり褒められた記憶がなかった私には

この時、初めて親孝行らしい事が出来た気がしました。

 

器用でマメで本当に片づけ上手な母でしたが

あの頃から少しずつ

今までとはもう違うんだなという老いを感じていました。

今、私は当時の母と同じぐらいの年になっています。

 

私も確かに、以前と同じように動き回って

何かをやり遂げるにしても

時間がかかるようになってきました。

 

私の場合、7年前から関節リウマチを患ったこともあって

本当に長時間の作業ができなくなりました。

何事につけても忍耐力がなくなる感じ…。

これが老いを感じるってことなんだと感じています。

 

私が発病した当時は、いきなり車いす生活でしたが

自力で移動するにも手首にも激痛が走るので

自力で移動もできずに

生まれて初めて介護してもらう立場を経験しました。

 

その時に感じた絶望感。

もう何も自力できないんだという事を思い知らされました。

自分がいやでも、介助を頼むしか

何もできない状態の自分だったから。

 

昨日まで元気でも、

突然こんな状態になるかわからないという事を

身をもって知りました。

嫌でも助けてもらえなければ

自分では一切何もできない事の歯がゆさを

しみじみ感じました。

人に自分のことをお願いすることも

必要な時があるんだという事を知りました。

 

そんな貴重な経験をしましたが、

今は、その後、入退院は何度か繰り返したものの

何とか奇跡的に回復し

普通に動けるようにまでなれました。

 

ただちょっと無理をすると

関節に激痛地獄がやってきますが。

 

だからどうしても何事も控えめにしていると

今まで当たり前だったことも

また後で、とか次の機会にと延び延びにしてしまい

後で収拾がつかなくなる事も増えました。

 

ホームページの更新もフェイスブックの更新も

ブログの更新も…。

こんな状況の時だからこそ

別の作業に置き換えて

時間を上手に楽しむ余裕がない。

そんな自分を情けなく感じます。

 

寝たきりのハッピーじいちゃんをお世話しながら

命の期限を切られた母とリモート面会するたびに

母の痛みが少しでもましになって

うれしそうな顔を見たいと思うのだけれど

見た目にもどんどん弱っていくのが

はっきりとわかるのは辛いです。

 

こんな時、これは他人事じゃない、

いつか自分もこのようになるかもしれないと。

しっかりしないと!とは頭では思うのですが…。

 

動けないハッピー爺ちゃんのお世話をしながら

動けない実家の母をリモートで見舞うたびに

考えさせられます。

 

命って何だろうって。

昨年、12月にラッキーちゃんを見送ってきました。

ラッキーちゃんの前に、2頭の愛娘ショコラちゃんが

一昨年前、不治の病を患い

9歳であっけなく虹の橋を渡っていきました。

 

とっても賢くてお茶目でビビりで愛らしい娘犬でした。

あの時もなんで長生きできない病気になったのか?

宿命を恨みそうになりました。

 

受け入れなければならない別れ。

ただ、時期が明確にいつという事ははっきり解らないけど

間違いなく受け入れなければならない日が来ることだけは

無情な事実なのです。

 

運命学を学びながら、

命をいかに輝かせられるかという学びを得ても

命の期限だけは、

鑑定士をしていてもどうにもならない現実です。

だからこそ生きている間に

これをやっておけばよかったという後悔は

できるだけ少なくなるような生き方を

しないといけませんね。

 

できる限り、いろいろな資料を作ったり

新しい学びを覚える事に時間を費やすことで

悲しさやむなしさを紛らわせていますが

作業を終えてふと、自分だけの時間になった時

どうしようもない悲しさが襲ってきます。

 

一体私は今何を伝えたいのかもわからないまま

つらつら書いていますが

何事でも、気持ちをどこかに吐き出す場所は

必要だと私は考えています。

 

誰かに伝えたから何かが変わるわけでもないのですが

気持ちが少し落ち着く気がするのです。

素直になれればいいのですが、

私は強情な性格なのでどうしてもできません。

利害関係の一切ない場所に吐き出すことが

私にとってのストレス解消なのです。

 

きっと、意味もなく泣くことができれば

もっとすっきりするのだと思います。

 

どんなに辛くても悲しくても私は過去に

大声をあげて泣いたことは一度もありません。

私が子どもの頃、

とても厳しかった父が

少しでも泣きそうになると激怒するので

それが怖くて泣けない幼少期を過ごしました。

 

さめざめと泣くという経験すらしたことがありません。

きっと意味もなくただ泣けば

気持ちがリセットされてすっきりするのかもしれませんね。

わかっていても素直になれないのが

私の今でも最大の欠点なのです。

 

限りある命をどう生きるか?

これはそれぞれ人には違う生き方があるので

一概にこれが良い生き方というものはありません。

 

ただ、いつも決まって感じるのは、

自分の頭の中に少しでもいい思い出楽しい記憶を

たくさん頭に残しておくことが大切なんだということです。

 

本当に良い思い出こそ真の財産だと言えますね。

虹の橋を渡るときに持っていける唯一のものですから。

 

どうやら、ハッピー爺ちゃんの目が覚めたようです。

命ある限り、彼のそばに

少しでも縁があってよかったと思える記憶を

残すためにも彼についていてあげたいと思います。

 

次回はもう少しためになるブログを書きたいと思っています。

私のくだらない愚痴話に

最後までお付き合いくだったあなに感謝いたします。

いつも応援ありがとうございます。

 

それではまた書かせていただきます。  合掌