インド  アヨディヤのヒンズー寺院開設式に見るモディ首相の政治姿勢とその危うさ | 碧空

インド  アヨディヤのヒンズー寺院開設式に見るモディ首相の政治姿勢とその危うさ

(22日、インド北部アヨディヤで行われたヒンズー教寺院の開設式(インド政府報道情報局提供)【122日 時事】)

 

【宗教対立の象徴とも言えるアヨディヤのヒンズー寺院開設式 モディ首相、総選挙に向けて支持固め】

1月22日、インド北部のアヨディアでヒンズー教の「ラーマ神」をまつる寺院の開設式が(まだ完成前ですが)盛大に行われ、モディ首相も参加しました。

 

この寺院は、「貧困」とともにインドが抱える最大の問題であるヒンズーとイスラムの宗教対立を象徴するものであり、また、モディ首相率いるインド人民党(BJP)は、ヒンズー側の立場(あるいは「ヒンズー至上主義」の立場)でこの寺院建設運動を展開し、その過程で国民多数派のヒンズー教徒の間で支持を拡大して政権与党に至った経緯もあります。

 

モディ首相としては、まだ部分的にしか完成していない寺院の開設式を45月に行われる総選挙前に行うことで、支持固めを図る狙いがあると見られています。

 

しかし、宗教対立の象徴、もっと有体に言えばヒンズー教のラーマ神誕生の地(とされる場所)にあったイスラムモスクを破壊してヒンズー寺院を建設する過程での混乱・対立で約2000もの犠牲者を出したいわくつきの寺院であり、今後の対立激化も懸念されています。

 

****インド北部モスク跡にヒンズー教寺院 政権は祝福も宗教間緊張の懸念****

インド北部ウッタルプラデシュ州アヨディヤのモスク(イスラム教礼拝所)跡地に22日、ヒンズー至上主義団体を支持母体とする与党インド人民党(BJP)肝煎りのヒンズー教寺院が開設された。

 

敷地の所有権を巡ってはイスラム、ヒンズー両教徒が長年争い、1990年代には衝突が全土に広がって約2000人が死亡する事態も起きた。

 

祝福ムードが醸成される中、宗教間の緊張が高まる懸念も出ている。

 

22日の落成式には約7000人が招待され、モディ首相も出席。国営放送でテレビ中継された。ウッタルプラデシュ州など複数の自治体が同日を公休とするなど祝福ムードが広がる一方、多くの野党代表者は落成式への不参加を表明した。最大野党・国民会議派は「(BJPの)政治的なプロジェクトだ」としてカルゲ総裁らが式典を欠席した。

 

アヨディヤはヒンズー教のラーマ神が誕生した場所とされ、BJPの支持母体のヒンズー至上主義団体・民族奉仕団(RSS)が寺院建設運動を主導してきた。

 

92年12月には、寺院建設を求めるヒンズー教徒の集団が同地のモスクを破壊。事件をきっかけにイスラム教徒との衝突が全土に広がり、約2000人が死亡した。

 

ヒンズー教徒側はモスクが建設される前にはヒンズー教寺院があったと主張し、イスラム教徒団体と法廷でモスク跡地の所有権を争った。

 

2010年の高裁判決はヒンズー教徒とイスラム教徒の計3団体で土地を分割するよう命じたが、両者の上告を受けて最高裁は19年11月、「土地の所有権はヒンズー教のラーマ神にある」と判断。判決は政府に対してイスラム教徒団体には別の土地を与えるよう命じた。

 

インドの最高裁長官や判事は、首相の助言を受けて大統領が任命する。判決を主導した長官はBJP政権発足(14年)後の就任だ。

 

新しく造られたヒンズー教寺院の敷地面積は約28ヘクタールで、建設費約200億ルピー(約340億円)は寄付金で集められた。寺院全体の完成は24年末の見通しで、23年末に外国メディアに公開された工事現場では重機や大勢の作業員が行き交っていた。24年春の総選挙が迫る中、開院を急ぐことでBJP政権の実績をアピールする思惑が透ける。

 

全国からアヨディヤに訪れる巡礼者を見込み、空港の建設や駅の改修をはじめとする開発も進む。23年12月30日にはモディ氏と、モディ氏の後継候補と目されるウッタルプラデシュ州のヨギ州首相が現地の空港などを訪問。モディ氏は「世界中が1月22日の歴史的な一日を待ち望んでいる」と群衆を前に演説した。

 

住民の大半はヒンズー教徒で、市街地の民家や商店には随所にBJPの旗が掲げられていた。地元の大学院生のナビーン・アザド・ドゥベイさん(27)は「開院はインド人にとって誇りで、歴史的な快挙だ。街の発展にも期待している」と喜ぶ。

 

一方、インドは信仰の自由が認められた世俗国家で、人口約14億人の約8割はヒンズー教徒が占めるが、約2億人のイスラム教徒も暮らしている。インド最大級のイスラム教徒団体「ジャマーテ・イスラミ・ヒンド」のサイド・サダトゥラ・フセイニ代表は取材に対して「社会のメインストリーム(主流派)からイスラム教徒を疎外しようとしている」と懸念を表明した。

 

ジャマーテ・イスラミ・ヒンドは、寺院建設を巡る訴訟でイスラム教徒団体を支援した。フセイニ氏は「(寺院建設を認めた)最高裁判決は大変残念なものだった。寺院建設は判決に沿ったもので、(開院について)コメントすることはない」と語った。

 

その上で、寺院の開院が盛大に祝われることについて「社会を分断させ、宗派間の対立を利用して選挙戦を有利に運ぼうとするBJPの常とう手段だ」と批判。「いま我々が唯一望むのは平穏に事が進むことだけだ。宗派間の緊張が高まったりするようなことはあってはならない」と訴えた。【122日 毎日

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【民主主義対ヒンズー至上主義的ファシズムの対立と見るべきとの指摘も】

このアヨディアのヒンズー寺院建設をめぐる対立の歴史的経緯、インド政治のかかわりについては以下のような、「宗教対立」というよりインドの民主主義対ヒンズー至上主義的ファシズムの対立、そしてファシズム側の勝利としてとらえるべきとの指摘もあります。

 

****アヨーディヤ問題****

1992年、インドでヒンドゥー教徒がイスラーム教のモスクを破壊し大きな紛争となった。その後も両派の対立が続きインドの深刻な社会問題となっている。

 

アヨーディヤはインドのウッタル=プラデーシュ州にあり、その地は『ラーマーヤナ』の主人公ラーマの誕生地とされ、ヒンドゥー教徒にとっては大切な聖地であった。

 

ところがインドを征服したムガル帝国はイスラーム教を信奉していたので、その初代皇帝バーブルは部下の武将に命じて、1528~9年にこの地にモスク(イスラーム教徒の礼拝所)を建設した。そのモスクは「バーブルのモスク」といわれ、今度はイスラーム教徒の信仰の拠り所となった。

 

アヨーディヤはヒンドゥー教徒・イスラーム教徒(ムスリム)の双方にとって聖地であったが現実には「バーブルのモスク」はムガル帝国時代からイギリス植民地時代まで、そのまま存続していた。

 

ヒンドゥー教徒によるモスク破壊

ところが、インドの独立運動が盛んになり始めた19世紀中頃から、インドのアイデンティティをめぐってヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の意識の違いが次第に明確になり、1947年にインド・パキスタンの分離独立した後のインドではヒンドゥー至上主義が高まって、イスラーム教を排斥する気運が強まった。

このような宗教対立(コミュナリズム)は、1980年代にヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が急成長したことでさらに強まり、ついに1992年12月6日、数千人のヒンドゥー教徒がアヨーディヤの「バーブルのモスク」を襲撃し、破壊するという事件がおこった。

 

参考 アヨーディヤ問題の本質

アヨーディヤ問題は宗教的対立と捉えられがちであるが、それに対してある歴史学者は次のような見方をしている。

 

それによれば、1980年代にインド人民党のようなヒンドゥーナショナリズムが急成長したのは、「ひとえに与党国民会議派の内政、外政にまたがる無原則的で使命観を喪失した政治と政策に由来した」という点にあるという。

 

国民会議派の強権政治家インディラ=ガンディーはマキャベリ的で、自己の立場に役立つならばヒンドゥー原理主義とも妥協した。また、ラジブ=ガンディー(インディラの息子)もイスラーム原理主義に迎合しながら一方でヒンドゥー原理主義に寛容であった。総選挙で有利だと判断すれば、彼らがアヨーディヤのモスクの脇にラーマ寺院を建立することを黙認した。

 

「これは敵に塩を送るどころか、砂糖まで送るに等しく、会議派がヒンドゥー原理主義の軍門に屈したことを意味した」といえる。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.177 による>


インドの政治にはヒンドゥー対ムスリムの宗教対立(コミュナリズム)があることは確かであるが、ここではアヨーディヤ問題の本質は、一部ジャーナリズムが報じるような「宗教戦争」ではないとしている。

 

・・・・(引用)・・・・

「アヨーディヤ問題の本質は、ヒンドゥー対ムスリムの問題ではない。むしろこの基底にはインドの民主主義対ファシズムの対抗がある。具体的にそれは、民主主義派、良識派に属する大多数のヒンドゥーや少数派ムスリムに対抗する、ヒンドゥー・ファシスト集団の暴挙に過ぎない。

 

そもそも全インド的に均質で同一の集団心性をもつヒンドゥー集団なるものは、事実問題として存在していない。したがってヒンドゥー対ムスリムという対抗構図の単純な設定と重視は、同時代史としてのインド民衆の民主主義への闘いを刻んだ全過程を否定する結果となる。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.177

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中村氏によれば、インドの歴史家や考古学者は、例外なしにアヨーディヤのラーマ寺院の存在を否定している。そしてバーブリー・マスジット(バーブルのモスク)の歴史的遺産を尊重すべきだとする立場を表明している。<中村平治『同上』 p.178

 

インド人民党の政権獲得

アヨーディヤ襲撃事件が起きると、ラジブ=ガンディーに代わって国民会議派政府の首相となったラーオはその行為を黙認、インド人民党はかえって大衆の支持を受けるようになった。

 

ついに1998年にインド人民党は総選挙で第1党となり、政権政党となった。インド人民党ヴァージーぺーイー(バジパイ)政権は反イスラームを明確にし、パキスタンに対しても威嚇的な核実験を行うなど強硬姿勢をとった。

 

しかし、その強硬路線は穏健なヒンドゥー教徒の支持を失い、2004年の総選挙では敗れて国民会議派が政権を奪回した。(後略)【世界史の窓】

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「1992年12月には、寺院建設を求めるヒンズー教徒の集団が同地のモスクを破壊。事件をきっかけにイスラム教徒との衝突が全土に広がり、約2000人が死亡した」というのは各記事に記されているとおりですが、更に、2002年にはアヨディアのヒンズー寺院建設の運動に関わった人たちの乗った列車が放火され、58人(59人とも)が死亡する事件が起き、この事故を「パキスタンからの命令を受けたイスラム教徒による放火」とするヒンズー教徒とイスラム教徒の全国的な衝突に拡大しました。

 

このときモディ首相が州首相を務めていたグジャラート州ではヒンズー教徒によるイスラム教徒襲撃暴動が起こり、1000人以上が死亡しました。この暴動について、モディ州首相(当時)が黙認(あるいは関与)したと批判されていますが、司法的には「責任なし」とされていることは再三取り上げているとおりです。

 

【モディ首相のインドを大国にする夢を実現するには「放縦さではなく、自制が欠かせない」】

このようにアヨディアのヒンズー寺院建設問題は、インドの宗教問題にとっても、モディ首相・インド人民党のこれまでのあゆみにとっても重大な関りを有しています。

 

そしてアヨディアの問題が象徴するモディ首相の政治姿勢は今後のインドの将来を左右します。

 

****ナレンドラ・モディの非自由主義、インドの経済発展を阻害する恐れ****

世俗国家を蝕むヒンズー・ナショナリズム (英エコノミスト誌 2024120日号)

 

大国になる夢の実現に必要なのは、放縦さではなく自制だ

「政治と宗教を結びつけてはならない」 インドの最高裁判所は1994年、同国の世俗憲法の決定的な説明だと当時考えられた判断のなかで、そのように裁定した。

 

122日に行われるヒンズー教寺院の開所式を見守る数百万のインド国民にそう言ってやるといい。 22000万ドルもの資金を投じて建立され、何かと物議を醸しているこの寺院で開所式を取り仕切るのは、インドのナレンドラ・モディ首相その人であり、式典は今年5月の選挙で3期目を目指す首相の非公式な選挙運動のスタートだ。

 

この国に住む2億人のイスラム教徒と、数多くいる世俗主義のインド国民にとっては不安なことに、今回の式典は数十年に及ぶヒンズー至上主義者によるインド支配プロジェクトの一つの頂点になる。

 

インド北部のアヨディヤに造られたこの寺院にモディ氏が姿を現す間にも、同氏の任務のもう一つの柱――インドの並外れた近代化――はハイペースで進んでいく。

 

この国は世界の主要国のなかでは経済成長率が最も高く、すでに世界で5番目に大きな経済規模を誇る。グローバルな投資家はインフラ整備ブームと技術の高度化の進展を歓迎している。

 

モディ氏はジャワハルラル・ネール以来の大物指導者になりたがっている。同氏が掲げる国の偉大さのビジョンでは、宗教に加えて富も重要なポイントだ。

 

危険なのは、傲慢なヒンズー至上主義が経済における首相の野心の実現を妨げることだ。

 

アヨディヤのヒンズー寺院が象徴すること

(中略)モディ氏が率いるインド人民党(BJP)はかつて非主流派の政党だったが、この地に建っていたイスラム教寺院(モスク)について1990年に運動を起こしたことで世間にその名をとどろかせた。

 

1992年にはヒンズー教徒の活動家を集めてこのモスクを文字通り破壊し、南アジア各地でヒンズー教徒とイスラム教徒を巻き込んだ暴動のきっかけになった。 モディ氏が開所式に参加する豪華なヒンズー教寺院は、その破壊されたモスクの跡地に建てられている。

 

多くのヒンズー教徒に言わせれば、これは過去の過ちの埋め合わせだ。というのは、この土地はヒンズー教の神話に登場するラーム神の生誕地でもあるからだ。

 

アタル・ビハリ・バジパイをはじめとする過去のBJPの指導者たちは主流派の支持を得るために、党のイデオロギーであるヒンズー至上主義を強調しないようにしていた。

 

しかし、グジャラート州首相だった2002年に反イスラムの暴動に関与した(後に裁判所で無罪とされた)ことがあり、その後に政権を握って10年になるモディ氏はもう、あまり自制していないようだ。

 

勢い増すヒンズー至上主義

BJPの過激な勢力は力をつけている。 イスラム教徒への暴力事件も起きている。BJPが政権を握るいくつかの州では、改宗を制限する法律が議会を通過している。

 

モディ氏は、イスラム教徒を差別する市民権法の導入を促進するなどしてイスラム嫌いを悪化させている。 同氏の強権的な統治スタイルは、新聞、慈善団体、シンクタンク、一部の裁判所、多数の野党議員を含め、インドに昔からある自由主義的な秩序の柱への嫌がらせや攻撃もその特徴になっている。

 

ほぼ確実と見られている通り、次の選挙でモディ氏とBJP3期目を勝ち取ったら、ヒンズー至上主義のプロジェクトがさらに推進されるのではないかと危惧する人は多い。

 

BJPの活動家たちは、数百カ所に上るほかのモスクについてもヒンズー教寺院に建て替えよと訴えている。 モディ氏は、インド憲法にあるイスラム家族法についての条文を削除したがっている。

 

議会選挙区の区割りが変更される可能性もあり、実施されれば工業化が進んだ裕福な南部の議席が減らされ、人口が多くヒンズー語が話されているBJP支持の北部の権力が強まるかもしれない。

 

現在73歳のモディ氏は、さらに10年以上にわたって強権的指導者としてインドを支配する可能性がある。

 

目覚ましい成長と変革を遂げたインド経済

(中略)インドのここ数四半期の経済成長率は年率で7%を超えている。(中略)

 

宗教問題と高度成長はどこまで両立する?

問題は、宗教の問題と急速な経済発展が両立するか否か、だ。その答えは「イエス」だが、ある程度までという但し書きがつく。

 

この10年間にモディ氏が経済面で上げた実績の多くは、同氏の宗教面の課題と併存してきた。 全国規模の売上税の導入など難しい改革を成し遂げることができたのは、BJPが議会で多くの議席を得ていることとモディ氏の人気のおかげだ。

 

また、市民の自由が損なわれてきたにもかかわらず、投資家が政策の安定性を当てにできるようになったのは、政権の結束と影響力の賜物だ。

 

しかし、もし3期目に入ったモディ氏がヒンズー至上主義と専制支配にさらに傾いたりすれば、経済面の計算も変わってくる。

 

インド国内の南北分断を例に取ろう。

インドが高度成長を続ければ、工業化が進み、裕福で、技術面でも先を行く南部はさらに発展する公算が大きく、北部から労働力を引き寄せることになるだろう。

 

だが、ヒンズー至上主義は南部ではほとんど人気がない。 モディ氏が権力を自分自身にさらに集中させつつ、ヒンズー至上主義をさらに押しつけたりすれば、国内の移住者や税収、議会での代表権などをめぐってすでに生じている緊張がさらに高まりかねない。

 

14億人の希望が打ち砕かれる恐れ

経済の安定性についても考えてみよう。 こちらはBJPのイデオローグたちではなく、外国からも信用されているテクノクラート(官僚)の経済運営が頼りだ。(中略)

 

だが、モディ氏が高齢になって孤立するにつれて意思決定が権威主義的で不安定なものになれば、そして制度が弱体化すれば、企業は巨額の資本を投じることに慎重になるだろう。

 

アヨディヤの寺院の開所式で自分に心酔する人々や取り巻き――インドの新しい、傲慢でナショナリズムを信奉するエリートの指導者たち――を前にする時、果たしてモディ氏はこの危険に気づくだろうか。

 

過去には気づいたことがある。 インドの首相になる前には、熱心なヒンズー教徒から繁栄している故郷グジャラート州の実用主義的な管理者へとイメージチェンジを図った。

 

3期目が見えてきた以上、インドを大国にする夢を実現するには、微妙な綱渡りを続けねばならないことを理解する必要がある。 それには放縦さではなく、自制が欠かせない。

 

モディ氏が失敗すれば、14億のインド国民の希望と、世界経済の最大の救いである同国の将来性も打ち砕かれてしまうだろう。【122日 JBpress

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