タイ  民意を否定するタクシン派・親軍勢力「大連立」の意味と今後のタイ政治動向 | 碧空

タイ  民意を否定するタクシン派・親軍勢力「大連立」の意味と今後のタイ政治動向

(15年ぶりの帰国直後、国王夫妻の肖像に礼拝するタクシン元首相(2023822日)【10 青木(岡部)まき氏 IDE-JETRO】 “その姿は、タクシンが国王を支持する保守派のもとに下ったことを人々に印象づけた”【同上】とも)

 

【「大連立」で政権獲得とタクシン帰国を実現したタクシン派 体制批判的な前進党の今後の台頭にタクシン派との連携で備える親軍勢力・保守派】

タイでは514日に行われた総選挙で、王制改革や徴兵制廃止を掲げる前進党(ピター党首)が選挙直前に若者らを中心に急速に支持を伸ばし、それまで勝利が確信されていたタクシン元首相系の貢献党を抑えて下院(500議席)の第1党の座を獲得しました。

 

しかし、司法を含む保守・親軍勢力勢力の壁の前に前進党・ピター党首の首相就任は阻まれ、代わって連立交渉を主導したタクシン系の老舗政党であるタイ貢献党は前進党を切り捨て、仇敵であるはずの親軍勢力と手を結ぶ大連立でセター氏を首相として政権の座に。

 

前進党は連立与党から離脱して野党に。

 

そうした「大連立」の裏側で、タクシン元首相が帰国し、国王の恩赦で減刑されるという見え見えの筋書きも。軍部とタクシン派タイ貢献党の間で「大連立」の見返りとして「合意」されていたものと推測されます。(もっとも、タクシン氏が目論んだほどはスムーズに行っていないとの指摘も)

 

最近のタイ政治動向に関するニュースはあまり見ませんが、下記のようなものも。

 

****改憲の国民投票を求める動議 下院が反対多数で否決****

憲法改正の是非を問う国民投票の実施を内閣に求める動議について、下院で1025日、採決が行われ、その結果、反対262賛成162で否決された。この動議は野党・前進党から提出されていたもので、下院では採決の前に4時間以上にわたり討論が行われたが、過半数の賛成を得ることはできなかった。

 

政権党・タイ貢献党のチャトゥロン議員は、「憲法改正は関係者全員が協力しないと達成できないため、我が党は前進党の動議に反対ではない。しかしながら、現行の国民投票法のもとでは、改憲案が国民投票を通過するのが非常に困難であることから、我が党としては、まず国民投票法を改正する必要があると考えている」と説明する。

 

同法では、国民投票を通過するためには、有権者の半数以上が投票し、賛成票が過半数となることが必要であるが、チャトゥロン議員らは、「これではハードルが高すぎて改憲案などが国民投票で承認されるのは難しい」と指摘している。【1026日 バンコク週報

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上記記事だけでは前進党が求める憲法改正の内容がわかりません。公約としていた王制改革・不敬罪の扱いに関するものでしょうか?

 

いずれにしても、印象的なのは与党・タイ貢献党の対応。

「我が党は前進党の動議に反対ではない」としながらも、いろんな理由をつけてこれを拒否。結果的に現行憲法を支持する保守・親軍勢力に意向に沿う形になっているように見えます。

 

こうしたタクシン派与党・タイ貢献党が王室・軍部にすり寄るようなタイ政治の構図に関する記事を3本。

 

****タクシン派と保守派が手を握ったタイ新政権 変容する対立の構図 政治の行方と民意は識者に聞く****

タイ総選挙で第2党となったタクシン元首相派のタイ貢献党が過去に対立していた親軍政党と連立を組み、セター内閣が発足した。タイ政治に詳しい法政大国際政治学科の浅見靖仁教授に、連立政権の注目点や、野党となった第1党の前進党の行方を聞いた。

 

 貢献党は最終的に親軍政党と連立を組んだ。

「タクシン派対反タクシン派という従来の対立構図が、親軍派対反軍派、あるいは王室擁護派対王室改革要求派という対立軸に変わった。これまでは利権争いの側面が大きく、政策的な違いはほぼなかった。しかし新たな対立軸はイデオロギー争いの側面があり、政治的な混乱が広がるリスクが残った」

 

 新政権の特徴は。

「閣僚ポストを見れば、政界を引退したプラユット前首相を支持するタイ団結国家建設党(UTN)優遇の人事と分かる。新政権に影響力を残した親軍派が、国民国家の力党(PPRP)を率いるプラウィット前副首相ではなく、プラユット氏なのは予想外だ。PPRPが不人気であることや、ワチラロンコン国王が自身に忠実なプラユット氏を支持したためとみられる」

 

「貢献党にとっては、2014年に軍事クーデターを実行したプラユット氏より、タクシン氏と気脈を通じるプラウィット氏が望ましかったが、王室の影響力の強さが垣間見えた。タクシン氏が事実上、(保守派の)人質となっているのも大きいだろう」

 

 ―15年ぶりに帰国したタクシン氏は収監されたままだが、来年2月に釈放されるとの観測がある。
「予想より長く拘束されており、人質状態だ。タクシン氏は、(司法機関に影響力を持つ)保守派に根回しをし、帰国という人生最後の賭けに出た。今のところ完全失敗でもなく、完全成功でもない」

 

 前進党の今後は。

「憲法裁判所は、ピター前党首の議員資格を剝奪するだろう。前進党の解党を命じる可能性もある。新党首には人気の高いシリカンヤー副党首ではなく、チャイタワット幹事長が選出された。解党された場合、党首は公民権を停止され、政治活動を禁じられる恐れがあるためだ」

 

 次の総選挙の行方は。

「若い世代を中心に、王室改革や軍の政治関与縮小を求める世論が高まっており、前進党や(解党された場合の)後継政党はさらに議席数を伸ばす可能性が高い。前進党に選挙で対抗できるのは現状では貢献党しかない。このため保守派は、長年にわたり対立してきたタクシン派(貢献党)と手を握らざるを得ない」

 

「貢献党も利益誘導型の政治だが、他の政党より宣伝がうまい。前進党が貢献党との対立軸をどの程度打ち出し、人気を維持できるかが、今後の見どころだ」(後略)【1011日 東京

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タイ貢献党としては「大連立」により、政権獲得、更にタクシン氏の帰国・恩赦というメリットがありますが、保守派・親軍勢力としても、今後の前進党の台頭に対抗するために、選挙に強いタイ貢献党との「大連立」はメリットがあるとの指摘です。

 

【王室も体制維持・強化へ】

国王・王室も体制維持・強化に向けて動いているようです。

 

****再び軍部・王党派となったタイ 民主化は果たせないのか****

FA誌でコーネル大学のTamara Loos教授が、Foreign Affairsのウェブサイトの9月26日付けで掲載された論説‘The Thai Establishment Strikes Back’で、タイ貢献党が選挙公約に反して軍部・王党派と組んで組閣したことなど、最近のタイの政情を分析し、タイの若い世代は民主化を求めているので、いつまでも一部のエリートが国民を無視して密室で政治を決め続けられないだろう、と疑問を投げかけている。要旨は次の通り。

 

(中略)前進党を支持した進歩派は期待を裏切られた。つまり、選挙の結果とは関係無く、軍事政権は貢献党と取引する事で支配を継続することになった。

 

タイ貢献党は不敬罪の見直しを公約していたが、軍の指導者がタクシン元首相の帰国を条件に取引したことは想像に難くない。国王がタクシン元首相の懲役を8年から1年に減刑する恩赦を出したことは、王室もこの取引を支持していることを示唆する。

 

ここ数カ月間、タイの王室は、王室のイメージ向上に努めている。8月には、ワチラロンコン国王に勘当されていた2人の息子が帰国した。彼らは、次男と三男で国王の2人目の夫人との間の息子である。

 

国王は、1996年に2番目の夫人と離婚し、夫人とその息子達に王族の称号を使うことを禁じたが、今回の彼らの帰国は、国王が後継者問題について対応しようとしているとの憶測を招いた。国王が認知している唯一の王子は身体障害者であり、長女は、1年近く意識不明状態だ。

 

来年の7月に国王は72歳の誕生日を迎える。現在、タイは軍部と王制を支持するグループと民主主義を支持するグループとの間で二極化しているが、目に見える形での後継者候補の帰国は、王制への支持を増し、体制を強化するための計算された決定であった。

 

多くのタイの有権者達は、一連の出来事に失望している。5月の選挙は大きな変革を期待させたが、結果的に現状維持派が優勢となった。

 

タイの将来についての重要な決定は、エリートたちが密室で決める状態が続いている。しかし、軍部や王室が、誰がタイを支配するのかについて、タイ国民の意見表明を拒否し続けることはできないだろう。

 

世代交代は進んでおり、若いタイ人は、政治のより大きな透明性と言論の自由を制約する法律の改正を求めている。

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(中略)

選挙の結果、貢献党が初めて第一党の座を明け渡したのは、軍部や王制という既得権益を嫌っていた層が貢献党から前進党に鞍替えし、これまで既得権益を批判する勢力も惹きつけていたタイ貢献党が、国民に既得権益の一員であると見なされたことを意味する。  

 

勘当されていたワチラロンコン国王の2人の息子の帰国も興味深い。国王は、過去、4回結婚し、3回離婚している。論説に身障者である唯一の子息とあるのは、3人目の王妃との間で生まれたティパンコーンラッサミチョト王子(18歳)のこと思われる。彼は学習障害があると言われている。  

 

これまで、この王子が王位を継ぐ場合は長女のパチャラキティヤパー王女が摂政となるとか、そもそも王女が自ら王位を継承するのではないかとも言われていた。パチャラキティヤパー王女は、検事やオーストリア大使も務めた才媛だ。  しかし、昨年、犬の訓練中に突然倒れ、意識不明の重体となった。マイコプラズマへの感染と言われている。その結果、王位の継承について大きな不安が生じていた。

 

終わりの見えない民主化勢力対旧体制

しかし、勘当されていた2人の息子が復権し、いずれかが即位すれば問題は解決するかと言えば、簡単ではないように思われる。

 

とはいえ、軍部・王党派にすれば、自らの拠って立つ権威である王制が王位継承で混乱しては困るので、必死に何とかするのであろう。  

 

タイの民主化の問題は、古くて新しい問題である。過去にも血の日曜日事件(1973年)や暗黒の5月事件(1991年)のように民主化を求めた学生達が軍政と衝突し、弾圧されることは稀ではなかったし、タクシン首相がクーデターで追放された後、タクシン首相の復権と民主化を求めるタクシン派が軍部・王党派と度々流血の衝突を繰り返した。  

 

今回、民主化を求める層が貢献党から前進党に支持を移し、同党が第一党になることで、民主化勢力対旧体制という対立軸が明確化し、今後、民主化への動きが強まる可能性があるが、軍部・王党派もそう簡単には譲らず、そう簡単ではないであろう。【1026日 WEDGE

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【「大連立」で短期的な安定はあっても、真の「国民的和解」に基づく長期的安定への道は遠い】

これまで地方住民や低所得層を優遇することで多数派の支持を得たタクシン派と国軍・王室側近・司法や官僚、中・上層市民といった反タクシン勢力の対立、軍事クーデターによる「選挙民主主義をめぐる対立」という「対立」を繰り返してきたタイ政治ですが、近年は「現行の政治体制をめぐる対立」が表面化し、その流れを受けて躍進したのが現行政治体制を批判する前進党でした。

 

しかし、現実政治はその前進党を排除してタクシン派と親軍勢力の「大連立」で現行体制維持の方向へ。

 

これでタイ政治は「安定」するのか?  “短期的な安定はあっても、真の「国民的和解」に基づく長期的安定への道は遠いだろう”というのが下記記事の見方です。

 

****タクシン派連立政権の成立はタイ政治に安定をもたらすのか?****

タクシン派と反タクシン派の「大連立」成立

(中略)2006年のクーデタによるタクシン失脚以来、互いに不倶戴天の敵とみられてきたタクシン派と反タクシン派の「国民的和解」はどのようにして可能となったのか。この「和解」は、対立が続いたタイ政治についに安定をもたらすのだろうか。(中略)

 

政治対立の争点とその変化

「国民的和解」の意味するところを理解するため、ここではタイの政治対立でこれまで何が争点となってきたのかを把握しておく。

 

2000年代の政治対立は、タクシンに対する賛否、選挙民主主義に対する賛否、そしてクーデタを許容する体制への賛否という3つの争点が交差し、からへと重点を移すかたちで変遷してきた。(中略)

 

前進党躍進という番狂わせ

こうして迎えた5月14日の下院選挙では、タイ貢献党有利という事前の予想を覆し、前進党が第1党に躍進した。有権者はプラユットの続投や「大連立」より変革を選んだ(青木2023)。(中略)

 

今回の選挙でも圧倒的勝利をおさめ、有利な立場でPPRPら保守派政党と連立交渉を進めて「国民的和解」の大義の下で政権の座に返り咲く──タイ貢献党が描いたこの筋書きは、最終的に実現したといえよう。

 

しかし前進党躍進という「番狂わせ」がおきたことで、民意である選挙結果を否定する(「大連立」という)かたちで、強引に政権を掌握せざるをえなくなったのである。

 

2023年下院選挙がもたらしたもの、もたらさなかったもの

タイ貢献党連立政権は、PPRPなど軍政系政党を取り込んだことで、以前の民選政権に比べると軍事クーデタのリスクは低くなったと目される。

 

ただし、それは国軍など保守派の利害を脅かさない限りにおいての安定であろう。

タイ貢献党の選挙公約だった民主的憲法の制定、徴兵制廃止、国軍改革といった政治関連政策の先行きは不透明だ。

 

(中略)PPRPなど保守派は、タイ貢献党が王制改革や国軍の勢力削減につながる政策を推し進めれば連立離脱を示唆して揺さぶりをかけることが予想される。

 

また、選挙前に話題となった最低賃金引上げや大型インフラ投資計画などの経済政策についても、詳細はまだ公表されていない。タイ貢献党は政権の安定を優先し、各党の要望をすり合わせ、その合意の範囲内で政策を実施するものと思われる。

 

その様子は、中小政党が連立政権を形成し、政策よりも党利党略で離合集散を繰り返していた1990年代の政党政治を彷彿とさせる。1990年代、タイでは政党間対立による短命政権が続いたものの、政権交代は選挙を通じて安定的に行われていた。「国民的和解」を掲げ成立した連立政権のもと、タイ政治はかつての「安定期」に回帰するのだろうか。(中略)

 

国会内の政治が1990年代の状態に戻ったとしても、国会の外では2000年代の政治対立でタイ社会における権力格差に気づき、構造的問題としてその是正を求める声が消えたわけではない。

 

これに対して政権を取った保守派は、大規模な反政府運動が不在のなか、政治改革派に圧力をかけ続けている。セッター内閣成立後の9月末から10月初旬にかけては、2020年の反政府運動の主だった活動家や集会参加者に対し、コロナ下での非常事態令違反を理由に相次いで有罪の実刑判決が下されている。ピターをはじめ前進党に対する審理も継続中である。

 

タクシン派と保守派の「大連立」とは、保守派が第2党のタクシン派を取り込み、第1党である前進党を政権から排除するものであった。

 

一連の顛末で対立の争点は「政治改革の是非」に収斂し、革新派と保守派(タイ貢献党も今はこちらに含まれる)の分断は深まった。短期的な安定はあっても、真の「国民的和解」に基づく長期的安定への道は遠いだろう。【10 青木(岡部)まき氏 IDE-JETRO】

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