ルワンダ  大虐殺から22年 多くの服役囚が刑期を終えて釈放予定 被害者・加害者はどう向き合う? | 碧空

ルワンダ  大虐殺から22年 多くの服役囚が刑期を終えて釈放予定 被害者・加害者はどう向き合う?


ルワンダ カガメ
(虐殺者と生存者同士が協調しなければ、ルワンダに未来はないと語るルワンダのポール・カガメ大統領 【4月2日 COURRiER Japon】

【虐殺した側と生き延びた側が提携する、歴史的にも稀有な試み】
アフリカ・ルワンダでは22年前、1994年4月6日に発生したルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺からカガメ氏(現在のルワンダ大統領)率いるツチ系反政府勢力・ルワンダ愛国戦線 (RPF) が国内を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害されました。

正確な犠牲者数は明らかとなっていませんが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されています。【ウィキペディアより】

ルワンダでの大虐殺(ジェノサイド)の悲惨さについては、多くのメディア・書籍等で紹介されていますが、最近目にした記事では以下のようにも。

****100万人を虐殺した3万人が、もうすぐ社会に戻ってくる 死刑を廃止した国で「和解」は実現するのか****
・・・・ルワンダの場合、その虐殺法は単純なもので、かつ強烈な個人的憎悪をもって行われた。およそ100万人が虐殺行為に参加し、20万人が実際に殺害を行ったとされている。

虐殺は民家や仕事場、校庭、教会、病院、そして町の通りでも行われた。近隣住民が近隣住民を、教師が生徒を、医者が患者を殺した。司祭までもが信者の虐殺に協力していたのだ。

「初めは人を切るのもためらわれるけど、時間が経つと慣れてくるんだ」
フランス人ジャーナリストがまとめた本の中で、フツ族の男性アルフォンスはそう語った。
「何人かはさっさと殺す正確なやりかたを覚えたみたいだった。首の横をかっ切るか、後頭部をぶっ叩くんだよ」

だが、サディスティックな快楽を求めた者たちは、こうした「効率的」なやりかたを嫌った。
一般的な「殺しかた」はこうだ。まず、「身をもって思い知るがいい」という合い言葉のもと、ツチ族の人間の手足を切り落とす。そのまま被害者を放置し、絶命するまでの激しい苦痛にさらしておくのだ。
女性は集団でレイプされ、それからガソリンを浴びせられた後、火を放たれた。
鋭利な槍で女性器から喉元までを串刺しにされた者もいた。

連れて行かれる前に、ツチ族の親は子供たちを掘込み便所の中で溺死させなくてはならなかった。
殺しを拒否したフツ族の者も、多くは同じ目にあわされた。

大量の人間を殺した一日の終わりに、彼らは集まってパーティを開き、ビールを浴びるように飲んで、盗んだ牛でバーベキューをした。・・・・【3月26日 COURRiER Japon】
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殺害された者の数も、その殺戮の様子も想像を絶するものがありますが、それまで穏やかに暮らしていた隣人がある日突然、鉈(ナタ)や釘の刺さった棍棒を手に襲い掛かってくというところに大きな恐怖を覚えます。

ジェノサイドから22年・・・・虐殺の罪で今も服役しているおよそ3万人が刑期を終えて社会にもどってきます。
そのとき、家族を殺され、自分自身もひどい傷を負わされた多くの被害者は、もっどて来る加害者とどのように向き合うのか・・・・加害者は新たな社会で被害者とどのように向き合うのか・・・・という深刻な問題が起きます。

****100万人を虐殺した3万人が、もうすぐ社会に戻ってくる 死刑を廃止した国で「和解」は実現するのか*****
犠牲者の数、80万人から100万人。1994年、人類史最大の虐殺行為のひとつが遂行されたルワンダ。だがいま、この国は死刑を廃止し、虐殺の実行者たちを刑務所から社会に復帰させようとしている。その数、およそ3万人――。(中略)

虐殺者たちの「心のケア」
(中略)新政府は13万人を逮捕したが、このうち約3万人はまだ収監されている。私の横に座っているこの男と同様、囚人のほとんどの刑期が15~20年である。つまり、まもなく釈放されるのだ。

囚人の大規模な釈放はこれが初めてではない。刑務所の混雑を緩和するため、2003~07年にかけて大量の囚人が釈放された。つまり、虐殺歴を持つ人間はすでに社会へと戻っている。

しかし、現在も収監されている者たちは、より残虐な罪を犯し、裁判でも罪を認めようとしなかったために長期の刑を言い渡された人間である。

現在のルワンダ人がいう「ジェノサイド・イデオロギー」に強く傾倒していた彼らは、投獄されている間に、抜本的に変化した社会へと戻っていくことになる。

過去20年で、1000万人の人口を抱えるこのルワンダ共和国は、経済成長、医療や教育水準の向上、民族差別の厳格な禁止などにより、着実に国家再興への道を歩んできた。

それなのに、今になって重い罪を犯した囚人たちを釈放することで、また混乱の日々が戻ってくる恐れがあるのだ。あるルワンダ在住のビジネスマンは私にこう語った。
「私たち市民はみんな懸念しています。懸念せざるをえません」

現在、囚人たちは市民として生活するための教育プログラムの受講を義務づけられ、職業訓練なども受けられる。

だが、彼らの「心」に対する対策はほとんど施されていない。ルワンダは依然として貧しい国だ。囚人に質素な食事を出すのが精一杯で、とても丁寧なカウンセリングする余裕などない。

また、ルワンダ人は他人と話さずに一人で物事を決めるのを良しとする文化を持つ。「ルワンダ人は語らず」という格言は、国のどの地域でも通じるほどだ。
いちおうは臨床心理士スタッフのケアが受けられ、ソーシャルワーカーの訪問もあるとはいえ、誰も悩みや苦しみを打ち明けようとはしない。そもそも親密な友人にさえ話さないのだから、当然である。(中略)

ドイツとルワンダにおいては、虐殺の「後」も異なっていた。
ドイツでは勝利した連合国が22人のナチス幹部をニュルンベルク裁判にかけた。そのうち12人は絞首刑、9人は懲役刑に処された。

だが、ホロコーストに関与した大多数の者は罪に問われなかった。結局、ドイツにいたほぼすべてのユダヤ人の排除にヒトラーは成功したことになる。

一方、ルワンダでは約30万人のツチ族が生き残り、亡命先から70万人が戻ってきた。
政権を握ったRPFは「一人の人間として、ルワンダの人々はもう一度ともに生きていかねばならない」と宣言した。
彼らはフツ族と連合政権を立ち上げ、いかなる差別も禁止したのである。

ジェノサイドを経験した国のなかでも、虐殺した側と生き延びた側が提携する試みなど存在しない。
歴史家のフィリップ・ゴルヴィッチは語る。
「ルワンダ以外で誰もそんなことを試みようとはしませんでした。互いに近づこうともしないのです」(後略)【3月26日 COURRiER Japon】
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【簡単ではない「許す」ということ】
被疑者側のツチ系でもあるカガメ大統領は上記にもあるように、いかなる差別も禁じる施策を進めてきました。フツ・ツチといった区別も身分証などでも記載されません。

もともとフツとツチは同一の由来を持ち、その境界が甚だ曖昧であったものを、宗主国ベルギーが植民地統治に利用する形で両者を区分し、その中で両者間の社会的対立が生まれたと言われています。
“ようするに植民地支配をしたベルギー人はルワンダのフツ族とツチ族が憎み合うシステムを構築したのである。”【2015年12月30日 WEDGE】

ジェノサイドを乗り越えて新たなルワンダを建設していくために、ツチであろうがフツであろうが、被害者であろうが加害者であろうが、いかなる差別も禁じるというカガメ政権の強い意志を受けて、国民においても、もはや加害者フツの責任は問わない、これを許す・・・という声もありますが、そう簡単な話ではないことは言うまでもありません。

****ルワンダ虐殺、癒えぬ心 犠牲者80万人の悲劇から22年****
民族対立により、未曽有の集団殺害(ジェノサイド)が起きたアフリカ中部ルワンダ。悲劇の始まりから4月で22年となった。真実の究明と国民和解に向けた試みは続いているが、人々の心のわだかまりはまだ解けない。

首都キガリの高等裁判所第1法廷。50代のムバルシマナ被告が入廷すると、裁判長は「集団虐殺を計画・指揮した罪で審理を続ける」と告げた。

裁判記録や現地報道によると、被告は多数派民族フツの小学校教師だった。町に検問所を設け、逃げようとする少数派民族ツチを殺すよう人々に指示するなどしたとされる。その後は偽名を使ってデンマークに潜んでいたが、2010年に逮捕され、ルワンダへ強制送還された。
 
この日の公判で検察官は「時間がかかっても事実を明らかにする」と述べたが、被告は「弁護人が検察とぐるになり、私に罪を着せようとしている」と弁護人解任手続きを要求した。
 
虐殺の背景にはツチとフツの対立があった。政府は1999年に国民統合和解委員会を設置。主に裁判を通じて、真実の究明と国民の和解を図ってきた。
 
虐殺の主導者らを裁判所で裁く一方、扇動に乗せられて虐殺に加担した市民については、謝罪と賠償を重視する「ガチャチャ法廷」に委ねられた。住民が学校や広場に集まり、加害者の自白や被害者の証言で罪状や刑罰を決める。06~08年に集中的に開かれ、100万人以上が裁きを受けた。
 
だが、和解が進んだと考える人は決して多くない。放牧を営むミッシェル・ウワブカヤさん(82)は子ども3人と妻を殺された。

ガチャチャ法廷にも出席したが「加害者がウソばかり並べ立て、みんなで罪状を決めた。素人に虐殺を裁くことなんてできない」。
 
この事件に関わったとして13年服役した元被告(61)は「謝罪はしたが、心からの言葉じゃなかった。政府が『ツチを殺せ』と連呼していたし、一人だけ抵抗するのは難しかった。仕方がなかった」と話した。
 
元被告の家は、ウワブカヤさん宅から数百メートル離れた集落にある。2人は今も頻繁に顔を合わせるが、言葉を交わすことはない。

襲った隣人、許すしか
一方、加害者を許そうと努めている被害者もいる。
 
94年4月当時、女子中学生だったベスティン・ムカンダヒロさん(35)は両親と兄弟7人を殺された。「襲撃者は、ほとんどが顔見知りの隣人たち。私は彼らを許そうと思う。この集落以外に生きていく場所がないから」
 
ムカンダヒロさんによると、一家が避難した教会にフツの民兵が押し寄せ、ナタで襲いかかった。教会を逃れて自宅に行くとそこにも民兵が現れ、父親(当時50)を殺害。姉(同30)はナタで両手両足を切り落とされ、数十分後に死亡した。ムカンダヒロさんもレイプされて気を失った。翌朝、湿地へ逃げ込み、泥水を飲んで生き延びた。
 
数カ月後、妊娠していることを知った。自殺を考えたが、「神様が与えてくれた命」と産むことにした。今は農業を続けながら、虐殺が起きた当時の家で妹たちと暮らす。加害者との間にできた娘は親元を離れ、寮から学校に通う。
 
収穫や出荷の作業では、元加害者たちと一緒に作業することもある。「虐殺の記憶は消えない。でも彼らを許さなければ、妹や娘たちを養っていけない」
 
ルワンダのプロテスタント人文・社会科学大学で平和構築学を教える佐々木和之上級講師は「政府は裁判などを通じて『和解はおおかた達成された』と強調するが、そうでない人たちも多くいる。いまだに加害者による謝罪や賠償がなされていないケースも多く、気持ちを整理できない被害者も少なくない」と話す。

生々しい記憶、引き継ぐ
虐殺から22年。ルワンダでは人口約1200万人の約6割が25歳未満で、国民の半数以上が当時の出来事を直接知らない。政府は約400カ所に記念館などを設置し、記憶の風化を防ごうとしている。(後略)【4月28日 朝日】
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「虐殺の記憶は消えない。でも彼らを許さなければ、妹や娘たちを養っていけない」・・・・「許す」とは言いつつも、心の奥底には消せないものがあるようにも感じられます。

虐殺行為を許せるか・・・という問題は、別にルワンダに限った話ではありません。
良し悪しは別にして、私を含めて日本人には「水に流してしまう」風潮もあるようにも。

****ルワンダ人の友人がアメリカ軍の原爆投下について聞いてきた****
・・・・アメリカが太平洋戦争で原子爆弾を広島と長崎に投下した事実について聞かれてどう答えてよいのか分からなかった。私自身は戦争の話題や質問に対しては嫌悪感が先に立つのであまり話したくないほうである。

実は原爆で広島では20万人、長崎では10万人が被害を受けて死んでいるのが事実である。東京大空襲では10万人の死者が出ている。

太平洋戦争の日本人の死者は軍人が230万人、一般人が80万人死亡している。合計日本人の310万人が被害を受けているのだ。

私自身はそんな話を得意になって話せば話すほど気分が悪くなってくるから過去のアメリカや連合軍の「原爆投下の非人道的な罪」を問題視することは止めて「水に流して」しまいたいタイプの日本人である。・・・・【2015年12月30日 中村繁夫氏 WEDGE】
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もちろん日本について言えば、韓国・中国、そして東南アジアの国々において加害者としての立場、許してもらえるのかという問題があります。

このように「許す」云々はルワンダだけの問題ではありませんが、ルワンダの場合は、加害者が隣人であり、その加害者がまた隣人として戻ってくる、そして一緒に社会を構築していかなければならない・・・という特殊性があります。

虐殺行為を「許す」かどうか・・・という話は、宗教的な価値観とも結びつく話で、私の手に余る問題ですから、今回はそういう話があるということだけ。

なお、日本に日本人特有の心情があるように、アフリカにはアフリカ特有の心情も。

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・・・・だがアフリカのような集団主義的な文化が強い地域では、比較的「和解」が進展しやすいようだ。

実際、ルワンダでは、加害者が行方不明者の遺体の場所を明らかにすることで、残された家族が遺恨をぬぐい去るという例が多い。

それどころか、遺族の営む農業や牧畜に加害者が進んで協力するというケースまであり得るのだ。【前出COURRiER Japon】
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【大虐殺関与をめぐってフランス・ルワンダ両国は依然対立】
国内的にはツチ・フツの対立に封印をしようとしているカガメ政権ですが、大虐殺当時のフツ系政権と親密な関係にあったフランスに対しては、フランス軍が大虐殺に関与したとして、その責任を追及しています。

一方、フランス側は、2010年にはサルコジ大統領がルワンダを訪問し「ここで起こった忌まわしい犯罪を防ぎ、止めることができなかったという過ちについて、フランスを含む国際社会は反省をまぬがれない」と述べ、虐殺前のルワンダに大きな影響力を持っていたフランスが大虐殺を防止できなかったという「甚だしい判断の誤りを犯した」ことは認めましたが、大虐殺への関与は認めず、謝罪も行っていません。

このサルコジ訪問で政治的決着がなされたのかと思いましたが、その後も大虐殺関与をめぐってルワンダ・フランスは対立は続いています。カガメ大統領はフランスを許してはいないようです。

一昨年は、カガメ大統領のフランス批判に対し、フランス側は、ルワンダ首都キガリで行われた虐殺20年の追悼式典への閣僚参加を中止するなどギクシャクしています。

****ルワンダ大虐殺へのフランス軍関与疑惑、当時の司令官が否定****
アフリカ中部ルワンダで1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)をめぐってフランス軍の関与が疑われている問題で、当時現地に展開していた仏軍の司令官だった退役将軍が証言し、フランス側の対応を擁護したことが7日、明らかになった。

フランス軍は94年4月、多数派フツ)人が主導する政権下で3か月間に少数派ツチ人を中心に80万人が犠牲となった大虐殺が始まる数日前に、国連主導の作戦でルワンダに部隊を展開していた。

当時フランスはフツ人主導の民族主義政権と同盟関係にあったことから、ルワンダのポール・カガメ大統領はフランス政府が大虐殺に加担したと繰り返し非難している。
 
情報筋が7日に明かしたところによると、国連主導のターコイズ作戦を当時率いていた仏軍のジャンクロード・ラフルカード将軍(72)は、94年6月にルワンダ西部ビセセロの丘でフツ人がツチ人を殺りくするのを放置したとの主張をめぐり、証言に立った。
 
この事件では生存者らが、仏軍部隊は6月27日にビセセロに戻ると約束したにもかかわらず3日後まで戻ってこず、その間に数百人のツチ人が虐殺されたと主張し、2005年にフランス国内で訴訟を起こしている。
 
情報筋によれば、ラフルカード将軍は訴追対象ではなく、いつでも参考人招致に応じる証人の1人として、1月12日と14日に行われた長時間の審理で証言。フランス軍の兵士がフツ人の過激派たちに武器を提供したとの疑惑について、「全くの作り話」だと改めて否定した。
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フルカード将軍は「ターコイズ作戦の下で、武器弾薬をフツ人に提供した事実はない。弾丸1発さえもだ。仏軍兵士のいた場所では、虐殺も虐待も一切起きなかった」と述べるとともに、大虐殺の実態が明らかになるには時間がかかったと主張。

「フランスも国際社会も、地元民や政府当局の関与を全般的に過小評価していた」と説明し、ビセセロへの到着が遅れたのは部隊が120~130人と少人数だったうえ、西部キブエから尼僧たちを避難させる作戦を優先して遂行していたためだと弁明した。【2月8日 AFP】
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