フランス  西アフリカ・マリの混乱に軍事介入 フランスにとってのアフリカ | 碧空

フランス  西アフリカ・マリの混乱に軍事介入 フランスにとってのアフリカ

碧空-マリ フランス
【1月4日 毎日】

【イスラム過激派が北部を支配 政府は機能マヒ】
西アフリカ・マリ北部における分離独立運動・イスラム国家建設、それに伴うマリ中央政府のクーデター・混乱については、
2012年7月3日ブログ「マリ 北部で反政府武装勢力が「イスラム国家建設」 イスラム過激派によるイスラム霊廟破壊も」(
http://ameblo.jp/azianokaze/day-20120703.html

2012年10月13日ブログ「マリ  国連安保理、北部イスラム過激派支配地域への軍事介入を求める決議」(http://ameblo.jp/azianokaze/day-20121013.html

でも取り上げてきました。

****マリ共和国****
フランス植民地から、1960年に独立。最大民族のバンバラ人、遊牧民トゥアレグ人など23民族で構成され、人口は約1600万人、約8割がイスラム教徒。92年の民政移管後は民主主義が定着していたが、12年3月の軍事クーデターで混乱。
リビアのカダフィ政権崩壊(11年8月)で、大佐の雇い兵だったトゥアレグ人戦闘員や武器が北部に大量に流入し、反政府組織が12年4月に北部独立を宣言。その後、地元のイスラム過激派や国際テロ組織アルカイダ系勢力が北部を掌握していた。【1月12日 毎日】
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“12年3月の軍事クーデター”も、北部の反政府組織と闘っていた政府軍のなかで、政府の対応が不十分なことへの不満が募り起こったものです。
その後、クーデター騒ぎは国際社会の圧力もあって一応の収束をみましたが、昨年12月には、3月のクーデター勢力によって暫定首相が辞任を迫られるといった具合で、中央政府としての機能が事実上マヒしたような“ソマリア化”の現状にあります。

****マリ暫定首相が辞任表明、軍兵士に拘束された後****
西アフリカのマリで11日、シェイク・モディボ・ディアラ暫定政府首相が、3月のクーデターを主導したアマドゥ・サノゴ大尉の指令を受けた軍兵士に自宅で拘束され、数時間後に辞任を表明した。
ディアラ暫定首相は国営放送ORTMで短い声明を発表。「私、シェイク・モディボ・ディアラは政権とともに辞任する」と述べた。辞任の理由については明らかにしていない。

マリは、国際テロ組織アルカイダとつながりを持つイスラム武装集団が北部を掌握しており、実質的に国が二分された状態だったが、首相辞任でいっそうの混乱に陥ることになる。(後略)【12月11日 AFP】
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3月に起きた軍事クーデターに乗じる形で、北部遊牧民トゥアレグ人の世俗主義反政府組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」とトゥアレグ人主体のイスラム過激派「アンサル・ディーン」が連携して4月に北部を制圧。
しかし、「アンサル・ディーン」はアルカイダの北アフリカ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」などと協力し、MNLAを北部の都市部から放逐し、過激派による支配を固めています。
この結果、マリ北部には多数のイスラム原理主義の外国人戦闘員が流入し、シャリア(イスラム法)に基づく統治が進んでいます。【1月4日 毎日より】

【「イスラム過激派の南進を食い止めるため」フランス軍事介入】
こうした事態に危機感を抱く国際社会は、2012年10月13日ブログで取り上げたように軍事介入を決定しています。
ただ、周辺国で構成する「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」の軍事介入は“今秋以降”と時間がかかると見られており、その隙に乗じる形で、北部の「アンサル・ディーン」が南部への侵攻を開始。
これに対して、北西部アフリカを勢力圏とするフランスがいち早くその阻止に動くという展開を見せています。

****フランス:マリへ軍事介入 過激派侵攻で支援要請受け****
フランスのオランド大統領は11日、フランス軍地上、航空部隊を西アフリカのマリに展開し、軍事介入を開始したと発表した。
北部を占拠したイスラム過激派が10日、中部の政府軍の要衝コンナを制圧したため、マリ政府から国連と旧植民地宗主国のフランスに軍事支援要請が出ていた。ロイター通信は仏軍が空爆を行ったと報じた。

ファビウス仏外相は11日夜、パリで記者会見し、作戦の目的は「イスラム過激派の南進を食い止めるため」と述べ、北部のイスラム過激派占拠地域の奪還までは含まず、作戦は限定的なものになるとの見方を示した。派遣部隊の規模などは明らかにしなかった。

マリ政府は11日、非常事態宣言を発令。マリのトラオレ暫定大統領は同日夜、「各国民は兵士のように行動しなければならない」と演説した。イスラム過激派に一時、制圧されたコンナは、中部の主要都市モプティから北へ約50キロ。ロイター通信は11日、フランス軍の支援を受けた政府軍がコンナを奪い返したと報じた。

国連安全保障理事会は昨年12月、周辺国の軍事介入を認め、周辺国で構成する「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」が3300人規模の部隊派遣の準備を進めていた。しかし、イスラム過激派は部隊到着までの間隙(かんげき)を突いて中部に侵攻した。このためマリ政府は10日、国連と仏政府に軍事支援を要請。これを受け国連安保理は同日、加盟国に対し支援を要請していた。

マリ全土が過激派に制圧された場合、周辺国の治安が不安定化するほか、マリ国内が国際テロリストの養成拠点になる可能性がある。コンナに侵攻したイスラム過激派は、北部の遊牧民を主体とする主要グループ「アンサル・ディーン」で、昨年末、連携してきたアルカイダの北アフリカ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と距離を置き、マリ政府と交渉に入る構えを見せたが、再び政府への対決姿勢を強めていた。【1月12日 毎日】
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【「アフリカほどフランスの利益、感情が深く巻き込まれている地域は、世界のどこにもない」】
リビアのカダフイ政権と反政府勢力の内戦にもいち早く介入して“得点を稼いだ”フランスですが、今回の対応も国際社会の先頭を走るものとなっています。
もとより、北部・西部アフリカはフランスの旧植民地であり、現在でもフランス企業の活動、仏軍駐留などで非常に強い関係で結ばれています。

フランスがいち早く介入したのは、マリがテロリストの温床となるのを防止するといった一般的理由というよりは、自国勢力圏における家父長的立場・権益を維持していくために断固たる姿勢を見せる必要があるといったところでしょう。

フランスの旧植民地に対する思い入れは強固です。
“「世の中には離れられないものがある。男と女。山と平野。人間と神々。そしてインドシナとフランス」(1992年フランス映画「インドシナ」より)
上記は、フランス支配から独立、統一に至るまでのベトナムを舞台にしたカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画の冒頭部分のモノローグです。そのかつての植民地への思い入れの強さにひどく驚いた記憶があります。
日本も植民地支配の大きな傷を韓国など各地に残していますが、日本に比べて長期・広範囲に植民地支配を続けてきたヨーロッパ列強の場合、自国・相手国双方に残る爪あと・影響は日本以上に深刻なものがあります”【2007年12月8日ブログ「フランス なお残る植民地問題と移民問題」(http://ameblo.jp/azianokaze/day-20071208.html
)】

北西部アフリカは、インドシナ以上にフランス植民地支配の中核にあった地域であり、今現在も「大国」フランスの基盤となっている“核心的利益”に関わる地域です。
「アフリカほどフランスの利益、感情が深く巻き込まれている地域は、世界のどこにもない」(フランソワ・ポンセ仏外相 1973年5月3日、国民議会発言)【「冷戦後のフランスの対アフリカ政策」 大林稔】

大林稔氏の上記論文「冷戦後のフランスの対アフリカ政策」(
http://d-arch.ide.go.jp/idedp/KSS/KSS045700_005.pdf )によれば、フランスにとってアフリカは、そのプライオリティに応じて4つに区分されるそうです。

****第1節 アフリカ政策(1)の伝統****
フランスはアフリカとの植民地時代以来の特殊な結びつきを,依然として維持し続けている唯一の国である。また旧フランス領アフリカ諸国のエリート層も,この結びつきを当然と考えており,フランスとアフリカを結びつけている疑似家父長制的「共同体」関係は他に例をみないものである。

1.フランスにとってのアフリカ
フランスにとって,アフリカはプライオリティに応じて4つに区分される。
サハラ以南の大陸は,まずもっとも優先度の商いpays du champ (フランス協力省開発担当地域諸国)とよばれる国々と,逆にもっとも重要性の低い非pays du champ諸国の2つに大別され,pays du champ はさらにプライオリティに応じて次の3つに区分される(表1)。(1)フラン圏諸国,(2)その他フランス語圏諸国,(3)その他。
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最もプライオリティの高い「フラン圏」には、コートジボワール、セナガル、トーゴ、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン、マリ、ガボン、カメルーン、コンゴ、チャド、赤道ギニア、中央アフリカ、コモロが属しています。

“Pays du champ とは植民地省の後身である協力開発省の所管地域を指す。
このうち(1)のフラン圏とはフランスと結びついた通貨「共同体」であり,その加盟諸国14カ国中赤道ギニアを除く13カ国は旧フランス植民地でかつフランス語を公用語のひとつとするフランス語圏に属している。フランスとアフリカの疑似家父長制的「共同体」のもっとも確固としたメンバーはこれらフラン圏諸国であり,フランスにおいて「アフリカ」というときは,これら諸国が暗黙裏に想定されていることがしばしばである。“

【「内政干渉はしない。そういう時代は終わった」】
マリも、この旧フランス植民地で、フランス語を公用語とし、通貨共同体としてフランスと結ばれた「フラン圏」のひとつです。
なお、フランスの対アフリカ政策の目的は①「大国」としての勢力圏の維持 ②経済的利益の追求にあるとされています。
そうしたフランスと旧植民地アフリカに関する最近目にした話題がふたつ。

****中央アフリカに干渉せず=オランド仏大統領=駐留軍は「権益保護のため」****
反政府勢力の攻勢が続く中央アフリカ共和国の旧宗主国フランスのオランド大統領は27日、中央アフリカの内政には「干渉しない」と強調した。中央アフリカの首都バンギの空港には仏軍約250人が駐留している。

大統領は「ボジゼ政権を守るために仏軍がいるのではない。仏国民やフランスの権益を守るために駐留している。内政干渉はしない。そういう時代は終わった」と訴えた。
仏国防省は26日、中央アフリカで暮らす仏国民約1200人の安全は仏軍が守ると表明していた。これに関連し難民は保護するのか問われた大統領は「国連の要請があれば別だが今回は違う」と言い切った。【12月27日 時事】
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マリと、同じ「フラン圏」に属する中央アフリカが、フランスにとってどのような差があるのかは知りません。
当然いろいろな個別事情はあるでしょう。介入する、しないは、フランスにとってどれだけのメリットがあるか次第でしょう。

【植民地支配の過ちは認めるものの、明確な謝罪はなし】
****アルジェリア:仏大統領が訪問 植民地支配に謝罪はなし****
フランスのオランド大統領は19日、1962年に仏から独立して50周年を迎えた北アフリカのアルジェリアの首都アルジェで記者会見し、130年以上にわたった植民地支配について謝罪する意思がないことを明らかにした。5月の仏大統領選前、謝罪について柔軟な姿勢を示していたため、アルジェリアでは期待が高まっていた。

オランド大統領は会見で、1830年から続いたアルジェリア支配と独立戦争(54~62年)について「過去の植民地支配」、「独立戦争の惨事」と述べたが、「悔恨の意や謝罪を表明するために、ここへ来たわけではない」と明言した。謝罪に反発する仏国内世論を考慮したとみられる。

独立戦争休戦時の「エビアン協定」では「裁判で双方の責任を追及しない」と規定している。仏世論調査では35%が「謝罪すべきでない」と答え、「謝罪すべきだ」の13%を大きく上回っている。
オランド氏訪問を前にアルジェリアでは主要紙や10政党が、仏の謝罪拒否の姿勢を非難し、謝罪を求めていた。一方、オランド大統領は「対等なパートナーシップ」を掲げ、両国の経済関係強化に取り組む意向を示した。【12月20日 毎日】
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植民地支配に対する謝罪の問題は、前出2007年12月8日ブログ「フランス なお残る植民地問題と移民問題」(http://ameblo.jp/azianokaze/day-20071208.html

)でも取り上げたところです。

オランド大統領は、“「132年間、アルジェリアの人々は不当で粗暴な制度のもとに置かれた。その制度とは植民地支配のことだ。私は植民地支配がアルジェリアの人々に苦痛を与えたことを認める。」と、植民地時代に実際に起きた虐殺事件を挙げて、フランスの過ちを認めました。歴代大統領よりも一歩踏み込んだ発言でしたが、明確な謝罪の言葉はありませんでした。”【12月21日 NHKonline】

これに対するアルジェリア側の反応については
“「まずアルジェリア政府は、前向きに評価しています。
歴史認識の問題はあっても、経済面などではフランスは重要なパートナーで、波風を立てたくないという思惑があります。
また今年就任したオランド大統領は、学生時代、アルジェリアにある大使館に、8か月間研修生として滞在するなど、アルジェリアへの理解が深いとされ、アルジェリアにとって『大事にしたい』大統領だという側面があります。
ただアルジェリア国内では、オランド大統領の演説では不十分だという声も多く聞かれました。」
「植民地支配の過ちを認めるだけでなく、アルジェリア人は謝罪を期待していたのです。」(アルジェリアの国会議員)”【同上】
とのことです。

「植民地制度は不正」とはしながらも、「(植民地当時)入植したフランス人はアルジェリアを支配しようとしたのではない。アルジェリアのためになることをしよう思っていた・・・」とも語ったサルコジ前大統領のアルジェリア公式訪問ときは、彼の独特の個性もあって物議を醸しましたが、オランド大統領の場合、謝罪はなかったものの、一歩踏み込んだ発言もあったということで、実利優先で波風はあまり立たなかったようです。

フランス国内には、「アルジェリア人がよい暮らしが出来たのは、フランスが教育し、学校を作り、住宅を建設したおかげなんだよ。」「植民地政策はアルジェリアに、すべてのものをもたらしました。150年以上も前に始まった植民地のシステムを、今の基準で評価すべきではありません。」と、植民地支配を肯定的にとらえる見方も少なくなく、オランド大統領もそうした世論を意識した“謝罪はしない”対応となったようです。

歴史認識が立場で異なり、その対応に苦慮するのは、日本でも中国・韓国の問題で共通するところです。