満月の晩は、月が一番力強く美しく見えてほしい。

今夜は星空も広がり、冷たい空気の中で眺める夜空が気持ちいい。


朝は雪景色だった。

姫神山は全体が真白く覆われていた。

白無垢の花嫁のようにも見えた。


やっと冬らしくなったのか、それとも春を告げる湿った雪だったのか。

夕方にはアスファルトも乾いていた。

東の空にはやわらかい雲が薄い桃色に染まってふんわり浮かんでいた。

あさっては立春。

春を心に思い描いてしまう。

店先にディスプレイされた春色の服もちっとも違和感なく眺められる。


春は私に何かを告げてくれるだろうか。



盛岡ブランド宣言一周年記念 ブランドフォーラム2007「もりおか暮らし物語」がプラザおでってで行われた。

盛岡市のホームページにはこう書いてある。

盛岡ブランド(盛岡の価値)は,人と人,人と自然,人と文化の本来あるべき関係を大切にし,育んできた私たち盛岡の「くらし,生き方」そのものです。

盛岡の暮らしってどういうことだろう。

昔ながらの暮らしを踏襲することだろうか。

焙茶工房しゃおしゃんの店主のブログ「しゃおしゃん便り」 には

「盛岡に生まれ育ったのに、「盛岡ことば」は、聞いてわかっても、なかなか自分からは話せません。寂しいことであります。」

という記述がある。

盛岡ことばを自然に話せるのは60代以上の年代の人たちではないだろうか。

50代では危ういと思う。

立原道造は盛岡ことばが理解できたんだろうか。

否、ことばが聞き取れなくてもきっと気持ちが伝わっていたのだろう。

今頃は、ことばを尽くしても気持ちが伝わらないことも多いのに。

何かが変わったのだ。

山も川も橋も立原道造が見たものと同じなのに。

さて、ブランドフォーラムでは焙茶工房しゃおしゃんのお茶を頂くことができた。

香りを聞きながらお茶を飲むのは初めてだ。

お抹茶を点てたものを頂くときも、香りが云々というのは聞いた覚えが私にはない。

南部鉄器で沸かしたお湯はまろやかになるのだそうだ。

使い込んだものほどいいそうだ。

しかし、盛岡ブランドとはいうものの、お茶をいれるのに市の水道は使わないというところが苦しいかもしれない(苦笑)。

水に関しては参考になるお話を聞かせてもらえた。

今度は材木町のお店の方にも訪れてみようと思う。


船のように夜空に浮かんでいる5番目の月を眺める。

今見える月が全てではなくて。

でも満月だからといって、私のいる場所からは、月の全てが見えているわけではなくて。


見えないところに想いを寄せてみたりもするけれども、見えないところを思い煩ったところでどうなるわけでもなく。

見えないものは見えないのだから。

あの人の心の中と同じように。


立原道造の盛岡ノートが再刊されたとのこと。

東山堂には、盛岡ノートのコーナーが出来ていた。

本を手にとって見る。

明らかに、オリジナルの盛岡ノートとは違う。

活字の印象も違う気がする。

出版社(印刷所)が違うから仕方ないのかもしれない。

私はこの本のオリジナルを買ったとき、何を思っていたのか、もう思い出せなくなってしまった。


私が気に入っていた、盛岡にあるものは消えていったものも結構あるのだけれども、盛岡ノートだけは消えないのだろうと思った。



大寒の朝は、穏やかだった。

3月並みだという。

昨日の朝は、さらりと雪が積もったが、すっかり融けてアスファルトは乾いていた。

岩手の冬ではない感覚。

肌を突き刺す寒さ冷たさを今冬は経験していないような気がする。

暖冬、とはこんな冬のことなんだ。


夕方の空は、本当に春の初めを感じるようなオレンジがかったピンク色の雲が浮かんでいた。

雪のない、しばれない冬は楽でいいけれども、ちょっとだけ不安にもなる。


冬はどこへ行った?

昨冬は大雪に閉口していたのだけれども、今日は大雨、土砂降り。

雪かきをしなくて済む分、マシなのだろうか。

スキー場は雪が降っているのだろうか。


そんな中、県立図書館に「立原道造展」を見に行く。

~道造が愛した盛岡~

しかしながら、本は展示されていても読むことが出来ないので、少々不満。

私はどこで立原道造を知ったのだったか。

どこで盛岡ノートを知ったのだったか。

もう忘れてしまったけれども、やはり今でも知っているのに知らない街として、立原道造の愛した盛岡というのは私の中に存在する。

参考資料の「立原道造文学地図」を見て、私は盛岡バイパスのなかった盛岡の街の記憶はないことに気がついた。

変わらないのは、やはり山と川か。

2007年が始まった。

区切りをつけるというのは必要なことなので、カレンダーを新しくかえるのと一緒に、気持ちや行動もリセットできればよいのだろなと新春の岩手山を眺めながら考える。

それにしても今年の元日は天気に恵まれて本当によかった。

私の気分は天気に左右されることも多いので、ただ青空が美しいだけで、よい1年のスタートを切れそうに思えるのだ。

元日の岩手山もよいけれども、三陸の海で初日の出を見たいなとも思う。

いつかきっと。


今年も細々と書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

昨年とは打って変わって、雪のない12月だったのだけれども、ようやく雪が降り始めた。

昼間に一旦融けたのだけれど、また静かに雪が降り続く。

クリスチャンではない私は、クリスマスは子どものための楽しみだと思っていた。

静かに雪が降る音に日頃の雑念を紛らわせて、心も静かに過ごすのもよいかもしれない。

想いが叶えられなくても、雪は降り、クリスマスは訪れる。

ふとラジオから流れてきた曲が心に留まる。

1月リリースの曲だと言っていた。

みぞれとかいう歌。

ちょうど、みぞれが降っている時に流れてきた。

歌っている人も誰なのかよくわからない。

ただ、青森出身とのことで、みぞれの降る様子を知っているんだなとかいうコメントがあった。

雪になれないみぞれと人の心の襞をうまくからませて聴かせてくれて、今日の私の心にすとんと落ちてきた。

もう一度聴きたい。


新しくオープンしたユニバースで、1年前の私を知っている人に会った。

去年より元気そうだと言われた。

少なくても心の落ち込みは去年より持ち直しているけれども、違うところがへこんでいる。

そしてまた、今年も冬が来た。

私のすぐそばに。



夜の街をさ迷っていると、あちこちにイルミネーションが見えてくる。

あんなところやこんなところ。

夜の街は暗いだけではなくなったクリスマスの季節。


少しは慰めになるのかもしれないささやかな灯火。

でもどんなに美しいイルミネーションでも白く輝く13番目の月にはかなわない。


月は、とんがっても必ずまるくなる。

とがった先は誰かに向うのではなく、元の形に戻るためにある。


とがった姿は、仮の姿。

目に見えないものを信じられるかどうかが大切。



朝目覚めたら、窓の外から見える景色は白かった。

少しずつ季節は移っていき、クリスマスのディスプレイも、誰かの家の前のイルミネーションもしっくりとなじむようになってきた。

手袋と灯油を買い、シチューを作る。

宅配の業者さんや外で働く人は寒くて大変だろうと思う。

夜は、久しぶりに見る星空。

またたく星も長いこと見ていなかった気がする。

私は星の名前や星座がどこにあるのかわからないけれども、冬の星空は温かいココアでも飲みつつながめていたいと思う。