満開の花。
今年も、逢えたね。
うれしい。
薄いピンク色は、ささくれた心を抱きしめてくれる。
人がいない桜の木を探した休日。
降り注ぐ、桜の気を浴びて。
今ここに生きていることを確かめる。
あなたもどこかできっと、この春のエネルギーをもらっているのだろう。
満開の花。
今年も、逢えたね。
うれしい。
薄いピンク色は、ささくれた心を抱きしめてくれる。
人がいない桜の木を探した休日。
降り注ぐ、桜の気を浴びて。
今ここに生きていることを確かめる。
あなたもどこかできっと、この春のエネルギーをもらっているのだろう。
やはりやってきた。
雪もなく、日の入りの時刻も間遠くなり、このまま春になってくれてもいいと思っていた1月。
しかし、容赦なく吹き付ける雪と風は2月の声を聞く前に下りてきた。
それでも窓に射す朝の陽射しは、冬の中にひそむ春を知っている。
春が来た。
吹く風は頬に冷たいけれど。
春に誘われて薄手のコートを脱いでいたら、風邪を引きそうな感じ。
桜のつぼみは日ごとに膨らんで、真新しい制服がすがすがしくて。
突然目に触れる黄色い花や濃いピンクの花は、心をざわざわとさせる。
春の予感が現実になってくる。
立春を過ぎて、日が長くなって、突き抜けるような空の青さと降り注ぐ冷たい日差しに融けずに凍りつく雪。
岩手山は雪まみれのような雲に覆われていて、真冬の風景。
ここはただ空が青く、突き刺さるような冷たい風が吹き付ける。
でも私は空が青いだけで幸せ。
春の訪れを信じられるから。
氷の国から吹く風が、地面から雪を舞い上がらせる。
冬の陽射しに輝いて、きらきらと蒼く透明に透き通るような空に散る。
凍えるくらい凍てついても、真冬日の青空の下に広がる雪景色が美しい。
寒くても希望という言葉を思い出させるようで。
真夏日よりも真冬日が好きなのは、空気が冷たく澄んでいるせいだろう。
2008年のはじまりは、雪だった。
そして、今もしんしんと静かに暖かく雪は降る。
こんな雪なら、降られても心地よい。
こんな雪なら、あなたを待つのもつらくない。
こんな雪なら、すべてを包んで癒してくれるだろう。
雪の華が街の灯りに照らされている。
桜の花が満開の夜に似ている。
私の想いがまっすぐに届きそうだ。きっと。
11月の雪は、突然のようだった。
こんなはずではなかったなと、おそるおそる紅葉が秋の名残を散らす歩道を歩く。
まだ葉が紅く染まる木に舞い上がる粉雪。
11月の真冬日は、去り切れない秋をただ戸惑わせて立ち尽くすばかりだ。
木立に降り積む雪と灰色の雲は、クリスマスを待つ気持ちを思い起こさせてしまう。
色とりどりに染まった心をリセットするかのような雪の日。
あなたに会う前に、もう街まで冬が来てしまった。
街の紅葉は、やはり今が一番美しい時なのだろうか。
最近、紅葉する木で気に入っているのは桜だ。
四季折々に装いを変える木は、そうないのではないだろうか。
やはり、春の薄桃色の満開の花のインパクトが強いせいだろうかと思う。
紅くも黄色くもなく、朱色なのがいい。
こんなにまで自分を人の心に焼き付けることができるのならば。
岩手公園の紅葉も鮮やかだ。
私はきっとこの美しさを写真におさめたいと思っても、たぶん私の想いを表現できないような気がする。
シャッターを切るときの想いは、できた写真を眺めたときに感じる想いと違っている気がするから。
それは私の写真を撮る技術が未熟なせいなのかもしれないが。
私なら、絵を描くことが風景を想いとともに記憶する方法としてはふさわしいように思う。
しばらく握っていない絵筆をとってみたくなる秋の日だった。
今日は手袋が要らない。
日差しがない日だったけれども、あまり苦にもならず。
ストーブもたかずに済ませた。
じらじらとした雲がまとわりつく岩手山には雪が降っているよう。
山はまとわりつく雲を追い払うことすらできない。
どこの通りだったろうか。
いちょうの色づきがよくないなあと感じたところ。
中央通に面した公園の脇にあるいちょうは、こんな雨の日もとても鮮やかな黄色で、歩道に散った葉が黄色の布をかぶせたようで。
今日は美しい秋の1日だった。
空気が澄んで陽射しは暖かく、北上川は空より深く蒼く流れていた。
紅葉のコントラストも今が旬のようで、モノトーンの季節の前のカラー写真。
そして、私はドウダンツツジの燃えるような緋色を見ると、何だか心がざわざわとするのだ。
錆びついた心の受信装置を磨いて、アンテナを伸ばしてみても、タイミングが合わなければ波動はキャッチできない。
今日の岩手山は、すっきりと姿を現して、右側の方にはうっすらと白い筋。
燃えて尽きる秋の夕暮れ時が愛おしいと思う。