なんでもやってくれる人は当たり前になりがち。

そういう人がいる人に限って、言う言葉がある。



「誰も私を助けてくれない」



目の前にいる人に言う。

助けてくれないと言える人は助けてくれているはずなのに。



恋と親子と当たり前は盲目だ。



人は手前の言葉に流されやすい。

新しい刺激に感化されやすい。



力になります。

なんでも言ってください。

一緒にやりましょう。



本当にこれらをやってくれる人は何も言わない。

いつの間にか当たり前に一緒にやって考えてくれている。



最初にきっかけとして言葉はあったかもしれないけれど。

そうして当たり前になるうちに当たり前は消失する。



「誰も私を助けてくれない」



定期的に新しい人が現れて定期的に人が交代して定期的にこう言ったことは繰り返される。




まぁ、言うて助け続けたいほどじゃないのかも知れない。

求められすぎても、求めなさすぎても、許容を超えれば通理は通らない。



誰かって誰?




まずは自分がいる事に気がついて欲しい。




みんなって誰?



あなたもその中の1人なら良いのでは?



愚痴や文句を言える人がいることは、当たり前じゃない。




SNSも、昔は紙の日記だったことがネット記事になった。



勘違いは心を殺す。

自分も他人も。



なくなったものは探さなければ見つからない。

でも、無くならないものを見失って探すのはやめよう。




誰もいなかったら、みんなもいないよ。










 

 

 

 

 

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