良いこと言っている風で否定しているだけの人は多い。


ただ、側から見るとそれを否定とは捉えにくい。



よくある例えでは

「嫌いな人は嫌いなままで良いんです」


これは比較的代表的な否定。

しかもポジティブに見せかけたネガティヴ。



そっかー、嫌いなままで良いんだーってなって目の前に偶然現れたら気分悪いだけなんだ。



レストランとか行って、メニューを選ぶ時。

わざわざ嫌いな商品を選ぶ人もいなければ、

わざわざ嫌いを宣言する人もいない。


いたとしたらよっぽどのかまってちゃんだ。


そんな人とは2度目はないだろう。



でも、嫌いを嫌いのままでいるのってそういうこと。

誰かに宣言をしなくてもわざわざ言葉にし続けているのと変わらない。



嫌いなものをわざわざ思い返す必要も考える必要もない。



その考えが無意識に他人の好きを否定することにもなる。



嫌いを考えることは限りなくゼロでいい。

考えすぎてマイナスにして好きに繋げられるくらいになればいい。




「わざわざ疲れることしなくていい」

それこそ、好きでやっているなら良いけどね。



嫌いなものを嫌いでいるのも考えるのも関わるのも、

相当特別なことがない限り好きにはならない。




そこまでして考えなくてはならないのか?

そこまでして関わり続けないといけないのか?



そんな必要はない。

労力の無駄だ。



好きな人と好きなことを好きなようにする方がいい。

ただ、自由なことと何をやってもいいことは違う。



結局最後に決めるのは自分だ。



誰かのために何かをした時のお礼も報告も経過も何も興味ない。



何かを求めた時点で自由じゃない。

いい意味で興味がなければ、いい意味でどうでもいい。



その人が不幸になろうが幸せになろうが関係ない。

嫌いな人が不幸になっても幸せになれるわけでもない。



だったら、自分の好きなことを好きな人のためにやる。

結果なんかどうでもいい。全てが成功するわけじゃない。

全てを好きになれるわけも好きになってもらえるわけでもない。




嫌いも自由でいい。好きは自由なのだから。
















 

 

 

 

 

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