自分の日々の暴走とかやっていることって、

漫画だったら初めは反感を買ったとしても、

最終的にはみんなが一丸となって達成して賞賛されるんだろうなって思う。



実際、無茶を通して道理を貫こうとしている。



無茶だろうが、成し遂げられて大団円だ。

ドラマ的だ。熱量もある。まさに理想の結末だ。



でも、現実は違う。

みんなが各々の正義を抱えていることは同じでも。





現実は、わきまえることが大事なんだ。

やっていいこと、やらなくていいことを。



理想ではなく、立場を超えてやってはいけないことをわきまえることが強いられているんだ。



ヤンキー漫画で最後の敵はヤクザになりがち。

実際問題マジもんのヤクザを相手取らなければならなくなったならもうどうにもならん。




警察?弁護士?政治家?




いや、誰も助けてくれないよ。表面上以外は。




沈めてやろうか?ではなく、沈められているとっくに。

身体とか内臓を売るくらいはあるかも知れない。



そう言った意味でも、現実はドラマではない。

ドラマは現実では起こらない。

面白みのない結末はドラマではない。



事実は小説よりも奇なり。




約束された正義はない。人知れず消えていく。




救いが正義にならないことも、正義が救いにならないことも無限大だ。



子育てに難しさのある子どもが、発達障害とわかり支援を受けられるようになったり、虐待されていた子がそこから抜け出せられたら大団円だ。



ドラマならそこで終わりだ。

良かったねぇ。




なにが?




現実はその先だ。





もっともっと難しさが増す。




発達障害がわかったとしたら、それに伴う対応や修練が必要になる。

虐待は無くなったとしてもトラウマや生活費などの問題が現れる。




誰がやるんだ?

親と本人です。


親から離れた子は?

自分では働けない年齢です。身寄りもありません。



余計なことしやがって




そんな現実も容易に存在している。




ドラマなら間違えてもつまづいても必ず救いが訪れる。



現実は、どうしようもなくなることもある。



いかに私のブレーキが壊れていたかを知らしめられる。





失敗してもいい。間違えてもいい。




普通ならね。




最低限みんなと同じ。

最低限みんなと同じにならない。

最低限みんなと同じになれない。




誰も違わなくてもいいよ。




誰も幸せな方が良いもん。



 




 

 

 

 

◆↓アクセスUPにご協力ください↓◆

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキング