仲良く居続けられないのには理由がある。

どっちがいいとか悪いとかじゃないとも思う。

 

 

必然的にどっちにもなんかある。

自分だけが、相手だけがってことはない。

 

 

結局は積み重ねと見せかけて、

その時の気分によるものは大きいだろう。

 

譲ってやったとか、我慢してやったとか、許してやったとか。

自分優位に思ってしまった時点で終わりの始まりだと思う。

 

 

その時点でもうなにもかも、めんどくさくなる。

 

 

相手の悪いところばかりに目がいく。

 

 

自分の常識、他人の非常識とは言うものの、

非常識と感じたことの共有は大体非常識と言われる。

 

 

類は友を呼ぶと言いながらも、

一緒にいる非常識タイプの人は割といつも非常識だ。

 

 

非常識だと思う面しか伝えないのだからそりゃそうだ。

 

 

悪いところばかりが気になるようになっているのだから、

それを何度も繰り返しているようにも感じるのだ。

 

 

 

気のせいだ。たぶん。

 

 

 

そう言い聞かせながらも、目に入る。

 

 

怖いもの見たさとでも言うのか。

 

 

 

言えないか言いたくないか、

というより、諦めるか、呆れるか。

 

 

大半が呆れ。

 

 

大多数が共感してくれるように伝わる非常識なのだから。

 

 

気にしていないのなら、気にしていないとは言わない。

我慢してるんだ、無意識に。

 

 

口から出てきた時点でSOSのサインだと思っている。

 

 

 

無言→伝言→苦言→超えられない壁→無言→暴言→存在消去

 

 

親しき中にも礼儀ありとは、

親しき中こそ、礼儀を忘れてはいけないという戒めだと私は思います。

 

そこを勘違いしたり、疎かにするから、

他人に優しく身内に厳しいとかいう意味のわからん家族関係が生まれるのだろう。

 

 

 

 

 

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