感想を言っているだけのつもりが文句を言っていると思われる。


文句を言っている時は愚痴を言っていると思われる。



愚痴を言っている時は毒を吐いていると思われる。



毒を吐いている時は対象を殺すんじゃないかと思われる。



殺したことはもちろんない。



どこがどう違うかはわからない。




言葉と感情がイコールにならない。

他人から見ると。




やりたくないってことは、嫌なんだと思うし、

やってくれないってことは、嫌いなんだと思う。




人はやりたくない時はやりたくないだけで、

やってくれない時もやりたくないだけらしい。




基本的な言葉や感情には裏表がないそのままの意味なのだとか。



深読みしすぎになる時は、対象を嫌いが上回ってきているからなんだとか。




50以上なら深読みは必要ない?

50未満なら深読みされている?



どうでもいいは以上と未満の狭間なのかもしれない。



私の捉え方はゼロ百

私の伝え方もゼロ百



側から見ると。



人の捉え方はゼロ百

人の伝え方もゼロ百



私から見ると。




誰にも裏表はない。

誰も表を見せていないだけ。



私には表裏がある。

裏は腐っている。見せることはない。

でも、匂いでバレる。臭すぎて。




人には見せない裏の顔があると言うが、

表面に出てきている部分以外に隠しているものがあるのならば、

普段が裏で本来が表ってことなんじゃないかと思う。




見せている部分ですら隠れているのだから。


発達障害は嘘をつけないと言うのであれば、

それ以外の人はみんな嘘つきってことだ。




そんな人たちの何を信じればいいのだ?と、本能が叫んでいた。

おそらくそれがコミュニケーションにおいての私の弊害。




いわゆる、空気を読むのも、人の気持ちを考えるのも、臨機応変な対応も。




発達障害は嘘をつけないに準ずるのであれば、

発達障害には難しい、出来ないことは全てが嘘で、全てが本当の顔ではないとも考えられる。



嘘をつくのなら

誰かを傷つける嘘はつかない

誰もが楽しい気持ちになれる嘘をつく



それが私の嘘。




真実なんてクソ喰らえ。




楽しく笑えれるのならば、クソを喰うことも厭わない。




じゃあ、食えよ?




誰かの中にもみんなの中にも私は常に自分を求める。

よって、私が笑えないこともしない。



だから私は考えることをやめた。

考えるのをやめたら、ネガティブなことも考えなくなった。




人の捉え方は知らん。

わざわざ嘘つかなくていいんだから。




楽しくできるように努める。

それ以外は何もない。














 

 

 

 

 

◆↓アクセスUPにご協力ください↓◆

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキング