悪いことをしたら謝りなさい。
こう言う時にはなんて言うの?
なかなおりしたいんでしょう?
求められるごめんなさい。
悪いこととか怒られることをした時って、
そうしようと思ってやったわけじゃない。
謝りなさいとか、仲直りの握手とか、ごめんなさいでしょ!とか。
そう言われて納得できたことが一度もない。
みんな納得できた上で謝っているのだろうか?
それとも、場を納めるためのいわゆる空気読みなんだろうか?
それとも、何にも考えたり感じたりせずに場を納める処世術として、
言われたことをこなしているような感覚なんだろうか?
他人に言われたことで納得して謝ったことが私は一度もない。
自分で実際に悪かったと感じた時や、行きすぎた言動だったとか。
自分で感じて謝るのは納得した上での行動だ。
結局のところ、謝ることも謝らせることも自己満足なんだろうなと思う。
だから私は謝るのをやめた。
怒られたり、嫌味だったり、仕事で失敗したことでさえも。
正確には謝って終わることをやめた。
申し訳ありませんでした。
ご迷惑をおかけいたしました。
とかのあとに
ご指導(ご指摘)をいただきありがとうございました。
(間違いや良くなかったことを)お伝えいただきありがとうございました。
とにかくありがとうございましたと言うようにした。
するとしつこく怒られなくなった。
咎められることも減った。
全体的に関係性も丸くなった。
日本人は謝ってばかりだとかそういった印象ってこういうところから来るんじゃないかなぁ。
子供は大人よりストレートに伝えてくる。
そして、ストレートに伝わることもあれど、曲がって伝わることもある。
会話の変化球が投げられるのは、成熟と経験のたまものだ。
でも、変化球を見逃すことも受け取ることも打つこともできる。
だからこそ、ありがとうの大切さを伝えたい。
10回のごめんなさいより一回のありがとう。
伝えてくれたことにありがとう。
伝えられたことにありがとう。
ごめんなさいしてくれてありがとう。
嫌なことの伝え方って意外とみんな上手なんですよ。
嬉しい楽しいありがとう。好きと愛しているもそうだけど、伝えるのが苦手な人が多い。
嫌いな人のことは聞かなくてもみんな教え合っていたりする。
でも、好きな人は意外と伝え合っていなかったりする。
だって好きが当たり前だから一緒にいるのだから。
だけど、そこを具現化していくことが、支援やサポートなんじゃないかと私は思う。
特別なことが特別じゃない。
特別じゃないことも特別じゃない。
そんな感じ。
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