こうやってやったらどうなるんだろう?



衝動性と言われる行動は、私にとっては些細な疑問だ。


例えば、最近よく思っていたのは、

うちのワンコがぷりぷりかわいくご機嫌にお尻を振りながら歩いているのを見るたびに



もし、ここでカンチョウしたらどうなるんだろう?



っていうのは結構頻繁に考えた。



どうやったって痛がるしかわいそうだし、びっくりするし嫌われるし。



実際やった時の反応だってある程度想像がつく。




それでも考える。やってみたくなる。ムズムズする。



もちろん、やったことはないし、これから先やることもない。



けれど、それを実際に行ってしまうのが衝動性だと私は思っている。



やりたくてやっているわけではない。




私の中の言葉で一般的な感覚として表すのならば、

実験をしてみて確証を得たかった。といった感覚だ。



実際行えば9割は怒られて9割は泣かれて9割は関わりが途切れる。




楽しい実験だってあるけれど、楽しい実験は結果として成功しているわけだから、

どちらにも疑問も不思議も不快も残らない。




失敗したものは強いネガティブを受けるので記憶に残る。



衝動性とは衝動的なものだけではないと言うことだ。




子供のうちは、そのやってはいけないの気持ちと、

やってみたいの気持ちの切り分けがうまくできなかった。



成長とともにその切り分けができるようになった。



だからやらなくなった。


ただ、やりたくなくなったわけではない。



たぶん、そこがいわゆる普通との違いなのかも知れないと思う。




よくわからないかも知れないけれど、私もよくわからない。




私は発達障害ではなかったことがないので、発達障害ではない人の気持ちはわからない。



発達障害ではない人が発達障害がわからないと言うのと何も変わらない。




私は発達障害はわからないで良いと伝えているが、

おそらく発達障害ではない人の気持ちを、

発達障害がわからなくても良いと言われる日は来ないだろう。




ただ、私はそれを差別だとは思わない。




天気予報も一緒で大体わかれば大体なんとかなるもんだ。

変わる時もあれば外れることもある。



天気予報がなくなれば良いと言う人はいない。



大体合ってるし、代替品もない。



でも人は?



代替品はない。



けれど、大体合っている人とわりかし合っている人とすごい会っている人がいたりする。




良い感じのものを無意識に選んでしまう。




行き先を決めない旅行なら、晴れ間を選んで移動するのと同じだ。




わざわざ雨を選んで移動する人はいない。







必然的に自分がいいと思うものを選んでしまうこと。

私にとってはそれが衝動性だ。



誰にでも起こりうるものだ。

種類が違うだけで。




私はそう思う。




 

 

 

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