全然知らない人に

「免許持ってないから毎日会社まで通り道だし送って」

って言われたら9割型拒否するだろうに。



全然知らない人に

「私マイノリティなんで、私に合わせなさい」

って言われたら理解ある人感出す人が現れる理由がわからない。




最初の人が車椅子の人だったとしたって自分で送り迎えさせられるのは嫌だけど、誰かがやらないことには理解ある人感出すのも理解不能。




結局自分に関係なければどうでもいいって言うか、個人間においての苦情や障害でなければみんなそんなに興味ないのかなって感じ。




それこそ、個人的な感覚だけど、私は発達障害だけど、だからって発達障害の私に合わせて欲しいとは思わない。



むしろ、周りに合わせてできるようどうしたら良いのかとか意見を募りたい。




マジョリティに頑張ってもらわなければならないところがあるのも否めないけど、

とにかく自分の都合に合わせてくれってのは烏滸がましいって言うか、どうにも違う。




合わせることによって誰にも迷惑を被らないのなら、合わせて然るべきかも知れないけど。





その誰かってのは国なり世界なりも含めた個々人に被らないと言う意味。




まぁ、それによって迷惑を被るマイノリティもまた存在するであろうことは否めない。




結局万人において都合のいい話なんてものは存在しない。




なんだかんだ世の中は民主主義だ。

決定権をもつその場にいる人たちの多数決で大体のことが決まるのだから。




住民を番号で管理すると言うのなら、全部の主義、主張を集めて統合して平均化して多い方の意見を取り入れるぐらいの気概があってもいいんじゃないかと個人的には思っている。





犯罪とか迷惑行為とかの悪い少数派は良くも悪くも起これば注目されるのに、

ボランティアや、慈善事業はやって当たり前感で評価どころか辞めたらこきおろされることすらある。





小さな町に起こった大きな事件とかって報道されるのやめていただきたい。




小さな町に起こった大きな幸せ活動も同じくらいの規模で扱ってほしい。




良いニュースは有名人しか注目しない癖に、悪いニュースはどうでもいい個人にすら悪態をつく。





これが印象操作ってやつなんじゃないかと思う次第であります。





 

 

 

 

 

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