「しばらく様子を見ていたのですが・・・」

「しばらくやりたいように任せたのですが・・・」

 

 

これ。

良い事に見えますが、「様子を見る」「任せる」は時間の無駄。

それを一番知っているのは保護者様自身。

 

散々様子を見てきてもだめ。

自分でやるというから任せてもだめ。

 

徐々に悪い方向悪い方向に向かっている。

 

 

だって「しばらく」と条件が付くならば、今まで成功していないことが前提です。

 

色々調べて新しい問題集を買い与えてもだめ。

自分で出来るならばとっくに出来ている。

 

買い与えたことで満足しては駄目。

時間を引き延ばすだけですから。

 

 

様子を見るのも任せるのも無駄と判断したなら保護者様が動く!

問題集を買い与える時間があるならば動く!

 

買い与えて一緒に勉強が出来ないならばそれは「様子見」と同じ。

 

 

とにかく保護者様が動く!

 

どんなに思い悩んでも。

どんなに我が子を導きたいと願っても。

 

座ったまま・様子をみたままでは何も進みません。

 

 

そろそろ動きません?

様子見の時間は過ぎ去っていませんか?

 

任せて今の結果ならば、このままで改善する訳がありませんよね?

それ。

一番感じているのは我が子本人よりも保護者様の方ですよね?

 

 

子どもは先に何が待っているか分からないのです。

人生経験が足りない。

実感がない。

 

我々大人は受験も経験している。

受験の結果が先の人生に及ぼしかねない影響も知っている。

 

何よりも人間は1人で頑張るには限界がある。

これを知っている。

 

 

ですが保護者様。

 

「保護者様1人で頑張れるには限界がある」のです。

 
限界があるからこその様子見という言い訳。
結果は分かり切っているのに。
 
 
そのままで良いのでしょうか?
様子見・任せるは初期の言葉。
 
落ち始めているならばただの言い訳。
面倒くさいという気持ちを綺麗に言い訳しているだけです。