小さな頃の読み聞かせなど、なぜ幼い頃の国語教育は必要であるのか?
大人になってからの「想像」という物は記憶から来るものなのです。
様々な体験や見て来た事、聞いて来た事から想像をするようになる。
見聞きして体験したもの以外、記憶の中に無いので想像出来ない。
大人になればなる程、記憶に頼るようになるのです。
子どもの頃は、全てが未経験。
経験していない、記憶にないことの方が多いのです。
その分、大人の語る事、大人の身ぶり手ぶり、大人が見せてくれる本などの世界を受け入れやすい。
親が語る事、どんなものであるかの説明。
疑う子供はいません。
例えば、サンタクロースについて想像しろと言われれば、誰もが想像できる。
赤い服を着た老人で、白いひげを生やし、トナカイのそりに乗ってプレゼントを運んでくれる。
この記憶。
親から言われた事が最初。
親が読んでくれた本が最初の記憶のはず。
現実にはいないと大人になり認識しても、心の中にサンタクロースという存在は想像としていつでも引き出せるのです。
小さな頃に、この親からの言葉、見せてもらえるもの、聞かせてもらえるものは記憶として想像できるのです。
それが大きくなるにつれて、自分で見聞きできる。
興味の無い物は見ない。
想像する事に意味を持たない。
どんどんそうなって行きます。
余程、本や映画などが好きでなければ想像する事すらない。
本が読めない子供の多くは、本は文字であり風景や光景を想像出来ないのです。
経験・記憶が無いから。
幼い頃、学んだ記憶のほとんどが親から聞かされた物、見せられたもの。
ですから、読み聞かせなどは大切なのです。
「大きいね」「強いね」「怖いね」
「怒ってるね」「笑ってるね」
「赤いね」「緑だね」
こう問いかけて、イメージを膨らませ記憶にして行く。
私の父親は、表現力が豊かで良く話をしてくれました。
難しい話も幼稚園児に分かりやすく。
今でも覚えているのは、「鬼子母神」という神の話。
こわい場面は怖ろしく、悲しい場面は悲しく。
表現力豊かに話してくれました。
そして父親は、教訓をかならず伝えてくれました。
「知らない人について行っては駄目だよ。女の人でも鬼子母神かもしれない」
想像して恐怖した物です。
幼い頃の記憶。
実は実体験ではなく、親が話してくれた見せてくれた内容である事が沢山あります。
保護者様もそう言った記憶があるはず。
そう言った記憶が想像になるのです。
読ませ、質問してみる。内容を更に広げてみる事。
想像させてみる。想像できるように誘導する。
知っている事を足掛かりに、想像させたいものに近づけて行く。
麻布学院は小学生プレの生徒に、そのように国語教育を行っています。