保護者様はいつも我が子を見つめています。
我が子に危険が無いか。
異変は無いか。
それこそ小学生の頃は目を離さぬように。
それが中学生になると、子どもは一端に大人になったつもりになります。
守られている事を忘れ、自由に行動しようとする。
いくつになっても我が子は我が子。
身体的な危険は少なくなっても、保護者様は別の危険を感じ始めます。
「勉強です」
傍で見ていると、本当に心配。
しかし本人に言っても全く意に介さない。
中学生は目の前の事しか見ていない。
人生経験が少ないので仕方のない事です。
ですが保護者様は違う。
そのままでいればどうなるか、敏感に感じ取っている。
だから必死に何とかしようとするのです。
ですが中学生になった我が子は小学生の頃とは違います。
「危ないよ」
小学生の頃は、響いた言葉が中学生になった途端、自分自身で何とか出来ると勘違いする。
いや、むしろ何とかしなくてもやり過ごせると思っている。
どう考えても我が子の可能性が消え始めているのを保護者様は感じている。
いつも見ているのだから。
本人は気が付いていない。
気が付いていないと言うよりも、先の事まで見通せない。
だから可能性が消える事を何とも思わず受け入れてしまう。
保護者様は小さな頃から、子どもに可能性・才能を見出すために色々やって来たと思います。
特に私のブログを読むような保護者様であれば。
常に子供の可能性を広げるためにアンテナを張り巡らせていないと、仙台の個人塾ブログにはたどり着きません。
ピアノ・習字・英会話・音楽隊・ミニバス・水泳・サッカー・野球・バレエ・ダンス。
様々な物に手間と費用をかけて可能性を見出そうとしたはずです。
将来の役に立つように。
何かの才能が花開くように。
しかし小学生のうちは、保護者様の想いを受け入れていた子ども達も、中学生になるとその想いの詰まった物をあっけなく捨て去る事が多々あります。
ただ、捨てきれない事もある。
勉強だけは避けられません。
受験がある。将来に大きく関わる。
定期テストには順位も出る。
だから保護者様は高い授業料を支払って塾に行かせるのです。
それなのに、全く成績が変化しない。
むしろ落ち始めている。
子どもに聞けば
「友達もいるから塾は楽しい」
塾長・教室長に聞けば
「もう少しで上がってくると思う。頑張っていますよ」
一番気が付いているのは本人でもなく塾の塾長でもありません。
保護者様なんです。
我が子に何かの危機が迫っている事に。
子どもがおぼれた時に、飛びこめるのは保護者様しかいない。
そんな時に、子供の意見を聞いて飛び込む人間などいない。
そんな事をしていたら本当に溺れてしまう。
麻布学院は、通ってくれた生徒の学力を最大限に引き上げる塾です。
高い確率で、本人が小さな頃に口にしていた、保護者様が思い描いていた志望校の学力に達します。
(麻布学院の中3生実力テスト校内分布)
その他の部分に入る生徒1名も上位21%と惜しくも20%に入らなかっただけ。
ほとんどの生徒が校内上位20%以内。
むしろ78%の生徒が校内10%以内。
だから受験でこのような結果になるのです。
(過去3年間麻布学院生徒の公立高校進学先)
塾は溺れている子供を助けるための浮き輪。
ボート。
空気の抜けた浮き輪はいざと言う時に役に立ちません。
穴の開いたボートも役には立たない。
塾は数字・結果・実績です。
楽しさを優先して、勉強の苦しさを体験しない生徒は、のちに大きな苦しみを背負います。
苦しさすら感じないで終わるかも知れない。
それが受験。
高校進学先・大学進学先。
子どもは目の前しか見ていません。
平気で色々な可能性をすぐに諦める。
助ける事が出来るのは保護者様だけです。
子どもは溺れている事に気が付かない。
あっさりと流される事を受け入れる。
保護者様が迷惑がられても浮き輪を投げるしかありません。
必要が無いと言われても、投げるしかない。
一番我が子を見ているのは保護者様。
その溺れていると言う感覚。
当たっています。確実に。