私は入塾してくる生徒を見ていてこう思う事があります。

 

「この子。ここまで分からない事があると、学校でも苦痛だったろうな」

「夢から遠ざかる点数や結果を見るのは辛かったろうな」

 

その状態、本当に可哀想な事だと思っています。

 

小学生のうちから、学習習慣を身につけ、自学力を育み。

超先取りで学習を進めていればそうはなっていないはず。

 

なぜもう少し早くに来てくれないのだろう。

思う事が度々あります。

 

 

でもこう思う保護者様がいるのは事実。

 

「小学生のうちから塾に通わせるのは可哀想」

「子供は伸び伸びと」

「他の可能性があるかもしれない」

 

それはそうだと思います。

 

保護者様は様々な習い事をやらせてみて、子どもの才能が開花するのを期待します。

 

 

でも私。

不思議に思うのです。

 

それだけスイミングや野球、サッカーなどに力を入れている保護者様が、なぜに勉強だけは習い事の範疇でおさめようとするのか?

 

勉強は塾で良いのではないかと。

 

サッカーや野球。

スイミングやミニバス。

厳しい指導者の元に送り出す保護者様が、なぜか勉強だけは習い事の延長でしか考えない。

 

 

そして、それらの習い事で才能を発揮できないと分かった瞬間から勉強に切り替えようとする。

最初から勉強の部分は塾でも良かったのでは?

 

 

私はどちらが可哀想かはわかりません。

塾を経営する立場なので、勉強が分からなくなって行く事は辛いだろうなとか、仙台二高・一高と言っていた生徒が模試の度にD判定、定期テストも300点前半・300点以下になる。

 

それは辛いだろうなと思ってしまいます。

 

まず第一に。

勉強をさせる事は可哀想なのでしょうか?

 

将来の選択肢を狭く、限りなく狭い夢に限定するほうが、将来的に可哀想な事が多い気がします。

 

そこは保護者様の考え方次第。

 

でも、分からなくなっていく時は辛いと思いますよ。

最初は辛かったはず。

その辛さに耐えきれないから点数や間違えに無頓着になって行く。

怒られても右から左になって行く。

 

辛さに耐えられない状況だったんだろうな。

私はいつもそう思って生徒を見ています。

 

私はその状態から何人もの生徒を復活させてきました。

中3生になれば、成績は別人。

小学生から長く在籍してる生徒のほとんどが、学校では最上位層。

 

可能性を残してあげる。

可哀想な事では無いと思います。

 

習い事に躍起になるのはかまいません。

だからといって、塾に通わせるのは可哀想。

そこだけ何故か可哀想に思う事は将来もっと可哀想な事になると思います。

 

私は思います。