野球をやっている者。

 

本気で甲子園を目指す者。

 

宮城県で言えば、仙台育英を選択する事が一番確率が高いであろう。

 

仙台育英でレギュラーになるには、中学生のうちの相当の結果を出していなければ難しい。

 

そのために、毎日の自己鍛錬は欠かせないであろう。

 

必死に毎日練習する姿を「かわいそう」という表現で憐れむ人間はいない。

 

「努力している」「夢に向かって頑張っている」

 

美談である。

 

 

仙台二高や仙台一高は宮城県を代表する進学校だ。

 

麻布予備校から一橋大学や東北大学に進学した生徒も、その強豪校出身だ。

 

中学生の頃から、麻布学院という厳しい環境の中で必死に毎日勉強をしていた。

 

「勉強ばかりでかわいそう」

「勉強だけで来ても良い訳ではない」

 

こと、勉強に関しては毎日必死にやる事をネガティブな言葉で貶す人たちがいある。

 

 

何がかわいそうなのだ?

 

勉強だけ出きて何が悪い?

 

 

野球だけで来ている、野球を毎日必死にやっている子供と何が違う?

 

麻布学院の生徒のほとんどが部活もやっている。

部活動も真剣にやった上で、勉強も毎日頑張っているのだ。

 

 

野球は、必死に努力したとしてグラウンドの土を踏めない子どもたちもいる。

レギュラーになれるかは、才能の部分も大きく関わってくる。

 

 

勉強は違う。

受験という大きな大会では、全員がレギュラーとして戦うのだ。

 

部活で華やかな実績を残した子供も、補欠として試合に出る事が出来なかった生徒も平等に。

 

 

受験は誰もがレギュラーとして戦ええる舞台だ。

 

そこに向かって毎日鍛錬をする事の何が悪い?

全国の強豪校に進学しようとするならば、必死に毎日を過ごすのが普通であろう。

 

「かわいそう」

「勉強ばかりできても」

 

こういった価値観は、間違っている。

 

麻布学院には多くの小学生がいる。

将来、仙台二高・仙台一高という受験強豪校に進学する事を夢見る子どもたちだ。

 

子どもの可能性を精一杯応援しようと言う保護者様の子どもたちだ。

 

 

「かわいそう」

「勉強ばかりできても」

 

そんな考えの保護者様は皆無だ。

 

 

全国の強豪校。

 

野球でも勉強でも。

 

そこに進学する事を夢見るのであれば、毎日の鍛錬が当たり前。

 

 

野球やスイミング、バスケやテニス、陸上、吹奏楽。

毎日必死に鍛錬する事が美談で語られる。

 

勉強を毎日する事も、当たり前に美談で語られるべきなのである。

 

今日も麻布学院の生徒は、全国強豪校を目指して毎日の鍛錬を繰り返している。

当たり前の事だ。

 

仙台二高や仙台一高は受験の全国強豪校なのだから。