そのお母さんは、とても快活な方で長男である息子の将来をとても楽しみにしている人でした。
1人親家庭のその生徒の志望校は仙台一高。
評定は3.6ぐらい。点数は定期テストで300点をこえるくらい。
多分模試を受験すれば200点前半になるかもしれないという感想でした。
真面目ではあるが飲み込みは遅い。
そんなタイプの生徒で中学2年生の中盤に入塾しました。
お母さんはいつもこう言います。
『息子が行きたい高校へ行かせてあげたい』
ですが、仙台一高には点数が足りない。
『一高に合格させるつもりで頑張りますが、私立になる覚悟が必要です』
私はデータを示して丁寧に説明するようにしていました。特にこのお母さんには。
何故ならば、兄弟2人をパートで養うお母さんは、塾代のために昼間のパートだけではなく、夜に仙台では仕事がキツいので有名な食品会社で働いていることを知っていたからです。
そんなお母さんの努力が実り、冬にやっと仙台一高がBランクに。
しかし冬の面談に来たお母さんの姿に驚愕してしまいました。
あれだけ快活だったお母さんが椅子に座るのさえキツそうで、見るからにやつれてしまっていました。
息子が私立になった時のためにお金を貯めなければならない。
自分は大丈夫だから息子の好きにさせて欲しいとお母さんはそれだけを私に言うのがやっと。
違う提案をしても、親の境遇で子供に辛い思いはさせない。
面談の帰り、お母さんは真っ直ぐに歩けず、自転車に乗ることも出来ず、寄りかかったまま歩いて帰る姿を見て、私も、もう1人の塾長もこの受験にまさかがあってはならないと思いました。
彼は勤勉な人間なので、向山ならば確実に合格出来る計算が出来ていました。
麻布学院が向山を受験した生徒全員合格に導いた自信もありました。
当時の宮城県の私立高校は、特待生制度が充実しておらず、授業料が免除されるとすれば聖和学園特進文理か東北高校創進のどちらか。
しかし、今とは違い人数は少ない。
ですから私はお母さんの身体を考えて、この生徒には志望校を向山に落とし、私立は東北高校創進と聖和学園で特待生になれる方を選ぶべきだと言いました。
彼が夜中まで頑張っていたのは知っていますが、お母さんの身体は私立高校に入学したらとてもではないが持ちそうに思えません。
ですがこの生徒は、他のみんなと同じように、東北学院と仙台育英特進を受験したい、公立高校は仙台一高しか受験しないの一点張り。
私は本気で説得もしたし、自分勝手であると怒鳴りもしました。
母親が倒れればそれどころじゃないはず。
しかしどう説明し説得してもダメ。
お母さんと三者面談をする事にして、私の本心を告げました。
しかし、その言葉を聞いたお母さんは、疲れきった表情を消して、毅然と私にこう言いました。
『親が子供のために倒れて何が悪いんでしょうか?子供にチャンスも与えず夢を諦めろと言う親などいません。』
この時に、私は思いました。
母親とは強いものだと。
この日から、私は何も考えずこの生徒を仙台一高に合格させる事だけを考えました。
自分の意思をあのお母さんに告げたのならば、それに見合う努力が生徒には必要です。
彼に関わる全員が必死でした。
お母さんも私も、もう1人の塾長も講師も。
落としたら大変な事になる。
それだけはわかっていました。
ですが生徒には、私立になった場合は私と二人でお母さんを説得し、奨学金を貰うことだけは約束しました。生徒もそれは納得してくれましたし、私も母子家庭支援制度などの書類を全部あつめてお母さんに渡しておきました。
落とすことが出来ない。
落とせばこの生徒の家族が大変な事になる。
お母さんは多分、奨学金を息子に貰わせる事に絶対反対するとわかっていましたから。
凄まじいプレッシャーでした。
お母さんが面談の帰りに自転車に寄りかかり、わずか数10メートルの距離を休み休み歩く姿が頭から離せません。
私が塾長としての厳しさを持ったのはこの瞬間からです。
それまでの私は、生徒と距離が近く、生徒の成績に一喜一憂して一緒に泣くような、どこか甘い仕事をしていた気がします。
この生徒との関わりが、今の私を作り上げたと言っても過言ではありません。
落とせない。落としてはならない。
凄まじいプレッシャーが私を鬼に変えました。
この年の仙台一高、仙台二高、仙台高専、宮城二女の受験は、全員合格。
仙台一高を10名以上合格に導いた初めての年となりました。
塾を開校して3期目の生徒達です。
1年生の夏までは生徒数たったの3人。
しかし3人が学校の1位2位と10位以内。
その2位の生徒がいじめを原因に不登校に。
新みやぎ模試の県内1位2位の2位の生徒でもありました。
前の学年の近隣校は荒れに荒れ、仙台一高はわずかにうちの生徒1名。
それまでのメイン中学は別の近隣中学でしたが、この年に前の学年が学力調査で仙台市内最下位になった事を知り、塾の校舎を2つにしてメイン中学を今の近隣中学にしようと決心した年でした。
その年に、私を変えてくれたのはこのお母さんとこの生徒です。
志望校に必ず導かなければならないという強い意思と重い責任を教えてくれました。
彼は念願の仙台一高に合格しました。
この合格は息子の可能性を消さないと奮闘したお母さんの力です。
私はこのお母さんから大切な物をたくさん頂きました。
心の底からありがとうございます。
貴方がいなければ今の麻布学院はありません。