昔ですね。
入塾してすぐに模試を受験した生徒で数学0点をとった生徒がいました😳
初めて0点という数字を見て衝撃。
5教科で50点台。
どうにか伸ばせないものかと私の国語の時間。
最高レベル問題集というテキストから、正直読みやすい記号ばかりの問題を選び、解かせてみました。
2問ぐらい外しましたが、私は大袈裟に最高レベル問題集の表紙を見せて、凄い能力だと誉めてみました。
すると、問題を読むようになり、漫画が好きな生徒だったので小説を頭で風景を描いて漫画にしてみるように指導。
すると、能力開花。
模試で20点だった国語が70後半に。
国語ばかりで相変わらず数学は20点ぐらい。
それでその生徒をもう1人の塾長にあずけました。
最初は九九が出来ない事が判明。
中2生で九九を練習しながら、算数の規則を教え、分数・小数と小6範囲が終わったのは中2生の夏前。
夏期講習では、中1からの計算を進め、国語力を信じて方程式や連立方程式を数直線や円で、風景を図にまとめるやり方を教えました。
すると、あっさり方程式や確率、規則性をクリアしました。
関数と図形で迷いましたが、全て関数はグラフにするやり方で、図形はひらめきを誉めに誉めて60点ぐらいになりました。
夏明けの定期テストでは数学が90をこえた😳
人間の信じこむ力は凄い。
そこから、理科に興味を持ち、英単語だけは思い切りやらせて、長文は国語力でクリア。
中3生からはbe動詞から文法の基礎を。
数学は好きになっていたので、図形と関数を毎日交互に、計算問題は外したら❌の個数だけ教えてどれが❌かは教えない。
当たらないと文章問題禁止と言ったら、魔法のように文章問題をやりたがるように。
社会は夏の講習と冬の講習でバッチリ。
3年生の1月模試では300点こえた😳😊
私立は尚絅と聖和特進文理。聖和は特待生😳
しかしこの生徒、中学3年間で遅刻200回をこえている始末。
1年生のかなりの日数を遅刻していました。
塾に来てからは2年生で遅刻が30ぐらいに。
中3生からは遅刻0日。
数学と国語で5、理科社会が4、英語が3。
これが私立入試で、活かされ特待生に。
公立高校はランクを下げて女子商業。
しかし遅刻回数や1年生、2年生の評定もひびいて不合格。
高校は聖和特進。
最初の実力で1位😊
そのまま大好きになった、数学を活かして理系クラスに。
ずっと1位で研究職を将来的に選び、北里大学へ。見事合格。
今は立派に研究職をしています。
遅刻魔で数学0点の生徒が北里大学へ。
そして研究職に。
始まりはもう1人の塾長の根気と、国語での勉強で初めて誉められた喜び。
国語→数学→英語→理科・社会。
この順番で上がりました。
最後の模試では国語80、数学80、英語60、理科70、社会60ぐらいになってました。
遅刻回数が無ければ公立に合格したかもしれません。
しかし、同時の聖和学園は勉強特待生がたったの1名。
彼女は高校で大切に育ててもらい、塾の利用だけで北里大学へ。
数学0点、国語20点、英語7点、理科25点、社会12点。
この生徒が特待生→北里大学です。
もう1人の塾長の根気と、英語担当講師の東北大学の生徒でありながらこの生徒のために頑張ってくれた講師は1から教えてくれる性格。
そして私のきっかけ作り。
こんな物語が麻布学院にはたくさんあります。
その生徒の同学年だった生徒達がこのブログを読んで懐かしむはず。
麻布学院は誰も捨てません。
二重三重のセーフティを用意して受験に挑みます。
もう1人の塾長と東北大学の英語講師が根気強く、根気強く。
2年間をかけて育てました。
私は問題を全て整理し国語的な解き方にする方法を生徒に教えただけ。
彼女は研究職。
麻布学院で有名な数学0点の子でした😁