本日の診察で週明けの退院が決まった。

傷口の痛みと出血は落ち着いているが、頭

と肩の鈍痛は未だ続いている。


この鈍痛は癌の転移に依る痛みではなくて、

右頚部の癌が血管や神経を圧迫している

のが原因との事だ。


看護師と一緒に頚部傷口の手当てをした。

頚動脈からの出血の前に何本か通ってい

る血管からの出血があるようだ。頚動脈か

らの出血は看護師の経験からもかなり凄

い事になりそうだ。しかしみんながみんな

そうなる訳ではない。


若しそうなった場合にはがんセンターは救

命救急センターではないので、近くの総合

病院の方が良いかも知れない。


いつ何時そのような事態になるか分からな

いので、事前に緩和病棟に入っておく方が

良い。緩和病棟も今直ぐ入れると云う訳で

はないので、どのような症状になったら緩

和病棟に入るかは事前に考えておいた方

が良いとの事だ。緩和ケアを見据えつつ、

今は右頚部の快復に全力をあげよう。

今日の診察では結構やばい話しがあった。

頚動脈の周りには迷走神経と交感神経が

通っているが、右目蓋が少し下がってきた

り声が掠れてきている症状から考えると出

血は表面の出血ではなくなってきている。


人間にとって大事な部分なので普通はガ

ードされている領域なのだが、症状から見

るとガードが癌細胞に喰われている可能性

がある。右半分は構造的に癌細胞にやら

れてる可能性がある。


出血を止める、傷を治す等身体の力は凄く

大事なので上手く自分の身体で抑えていく

事が大事だ。


頚動脈が開いてしまうと凄い事になるので、

元気で居られる内に自分を大事にして快適

に過ごして居られると云う指標が、これから

先は大事になってくるとの事だった。癌軍団

が城下にまで進軍してきたようだ。これを迎

え撃つ我が防衛軍団の真骨頂を発揮する

処だ。


談話室に行くとテーブルに「ガンをはねのけ

生き抜く力 すべては、あなたが治るため」

と云う小冊子が置いてあった。


桑原爺さん日々雑感 


誰にでも実践出来る小さな努力を諦めず積

み重ねていけば癌は治る。生活習慣を改め

て自然治癒力を高めれば癌は自然退縮し

ていく。


健康な身体のイメージを持てば、健康な身

体に癌は治ると云うイメージ通りに身体は

健康な身体に出来上がっていき癌は治る。

更にプラス感情を多く持って心を変えれば

治りも早い。全ては幸せの前触れだ。


今の生活習慣は完璧だ。食事には特に気

を付けている。これで治らない筈はない。

連休明けの今日、主治医に診察して貰った。

右頚部はシャワーで洗い流すと血糊が取れ

てしまうのでやらない方が良く、ガーゼを当

てるだけで良いとの事だった。頚部の臭い

消しに抗生剤ダラシンカプセル150mgが処

方された。


また今後度々血が滲んで心配になるようだ

ったら緩和病棟に入院した方が良いかも知

れない。緩和病棟に入院しても症状が落ち

着いてくれば、外泊で帰る事も出来るし自

由だからその方が良いかも知れないとの事

だ。


ただ未だ抗癌剤を服用する体力は充分に

あるので、暫くは抗癌剤を調整しながら自

分の身体と折り合いを付けながら生活した

いと思っている。確かに度々出血があって

処置が大変になってきたら緩和病棟への

入院も選択肢となるだろう。

(2013年07月05日 力が湧いてきた)


要は残された大事な時間を有意義に過ご

す為にどうするのが最善かと言う事だ。抗

癌剤はその大事な時間を過ごす為の手助

けに過ぎないものだ。


昨晩は痛みを然程感じなかったのでモルヒ

ネは飲まなかった。モルヒネは痛みが我慢

出来そうにない時に飲めば良い。


右頬が少し脹れてきた。リンパ節郭清をし

たので体液が滞留しているのかも知れない。

超人的な快復力に期待しよう。

寝る前に飲んだモルヒネは初めて飲んだ事

もあるが、流石に猛毒の麻薬だけあって効

果は顕著だった。痛みは殆どなくなり朝ま

で眠る事が出来た。


ただ痛みはなくなった訳ではないので、仮

面を被って痛みを隠し仮面舞踏会で踊って

いるようなものだ。


モルヒネは繰り返し使うと急速に耐性を生

じる、癌の末期になれば定期的な増量は

止むを得ないが、現時に於いては痛みが

酷い夜間時にのみ服用した方が良い。昼

間は今の処ロキソニンで痛みは大体抑制

している。


今日は父上の告別式だ。父上との最期の

お別れだ。上司殿の胸中や如何に・・・

告別式の時刻に合わせて病室からお祈り

をした。

昨夜も首の包帯の止血圧迫と胸の痛みで

眠れなかった。昨日から血圧が160前後に

上昇してきている。痛みに対する生体防御

であろう。


頭、、肩の鈍痛は夜間時には酷くなる。身

体はこの痛みに対して闘っているのだと思

うと感激する。


寝る前にモルヒネのオプソ内服液5mgを1包

服用する事にした。これは主成分が強力な

鎮痛作用を示すが副作用として食欲不振、

めまい、悪心等が考えられている。多くはこ

れの多用により食欲がなくなり次第に体力

をなくしやがて死に到る事になる。


診察日でないが午後担当医が首を診て交

換処置をして頂いた。休日中は医師が少な

いので出血した時に手遅れになるかも知れ

ないので、洗ったりガーゼや包帯を交換し

て刺激をしないようにして欲しいと言われた。


連休明けに診て問題なさそうだったら、洗

ったり臭い対策の処置をするそうだ。がん

センターの医師は親切だ。


昨日夕方上司殿父上が亡くなった。昨晩は

父上母上上司殿の三人で葬儀場で泊まっ

たようだ。父上も最期まで娘に見守られて

旅立つ事が出来てきっと満足して居られる

だろう。

(2013年06月26日 

      「娘に会いたかった!」)


父上は戦時中は飛行機乗りで活躍された

ようだ。几帳面な性格で生活もきっちりされ

ていた。


また父上母上も働き者で畑仕事が好きだっ

たので、畑で採れた色んな野菜等をよく送

って頂いた。晩年は持病の喘息を抱えなが

らも認知症になった母上を看る生活だった。


最期は娘に見守られて旅立って逝かれた。

きっと満足されているだろう。享年88.、天寿

を全うされた。来月には89歳になるご長寿

であった。


爺さんが先に逝けば大きな親不幸となった

がこれは免れた。しかし母上には親不幸を

するかも知れない。


今日の夕方からお通夜だ。父上のご冥福

を病室からお祈りしよう。父上ならこれも理

解して頂けるだろう。どうぞ安らかにお眠り

下さい。合掌。

11日夕方から首に包帯巻きをしているが、

昨夜は包帯の止血圧迫と痛みで眠れなか

った。


昼間はロキソニンの痛み止め効果で痛み

は然程苦にはならない程度であるが、夜間

には痛みを酷く感じる。そろそろモルヒネの

痛み止めを考える時期が近づいてきたかな。


昨日から昼食は選択メニューのフルーツ盛

合せにした。


桑原爺さん日々雑感 


上司殿の父上の看病で実家に帰っている

上司殿からメールが入った。


一時快復して元気になった父上だが、血痰

が出て苦しそうなのでモルヒネを使って少し

落ち着いていたようだ。


しかし今日は下顎呼吸で声掛けの反応も

なく血圧も下がってきたようだ。俄かに風雲

急を告げる事態となってきた。


近々の話しとなると爺さんの参列は難しい

状況だ。また上司殿からも爺さんの身体を

慮(おもんぱか)って上司殿実家の岐阜に

は来なくて良いと念を押されている。


何れにしても両親を最期まで看取るのは大

変な事ではある。

7日の出血後少量ながら出血が時々起き

るようになったので11日に入院する事にな

った。

(2013年07月09日 死のシナリオ)


ところが10日23:30頃またもや右頚部の防

水テープが真っ赤になっていたので剥がす

と矢張り血が止まらない。


7日の件もあったのでやがて出血も止まる

だろうと思ったが一向に止まる気配がない。


で救急車を呼ぶ。救急車の中で一応出血

は止まったがそのまゝがんセンターの夜間

救急入院室に搬送されて入院となった。


入院は今回で5回目だ。何とも喜ばしい記

録ではないがこんな経験もまた何かの役

に立つであろう。

(2013年04月18日 

        体力快復の療養入院)


頭痛、出血、微熱により食欲が落ちてきた

ので、抗癌剤は10日の夕食から中止した。

今回の入院は出血に伴うものなので食事

は普通食だ。しかしご飯は食べない事にし

た。

(2013年05月21日 緩和医療の気配?)


止血止めの点滴が始まり、夕方には首に

包帯が巻かれた。 


桑原爺さん日々雑感 


首が自由に曲がらないので頭部を上げ下

げ出来るベッドはとても楽だ。退院後もこう

云うベッドを入れる事にしよう。

20:10頃入浴の為右頚部に当ててある防水

シートを取ろとすると血で真っ赤になってい

た。それまで何の変調もなく全く気付かなか

った。


急いでシートを取ると血がボトボトと落ちて

止まらない。出血に勢いがないので細い血

管からの出血であろう。


急いで近くで会食中の上司殿に連絡をする

と駆け付けて呉れた。既に救急車を手配し

て呉れていたが、生憎近くの消防署の救急

車が出払っていて、5km先の消防署からの

出動となった為約10分後の到着となった。


20:30頃には出血は止まっていたが、もし頸

動脈からの出血だったら間にあわなかった

かも知れない。こんな処にも運不運はある

もんだ。


車の中で検査をした後救急車でがんセンタ

ーに行く。救急車は今回で2回目だが、がん

センターに搬送されるのは初めてだ。

(2013年06月17日 痰騒動)


がんセンターは救急病院ではないので急患

の人は誰も居なかった。労災病院とは対応

が随分と違うなと思った。


出血は止まっていたので頚部の処置をして

貰い、念の為出血を止める薬アドナ錠30mg

を貰って帰ってきた。


今回の件で爺さん最後の死のシナリオが見

えてきた。多分、普段の生活の中である日

突然右頚部の噴火口から大出血をして意

識を失いその儘絶命するものと考えられる。


無論その時に自分で救急車を呼ぶ時間は

ないだろう。その一瞬に爺さんの脳裏を駆

け巡る走馬灯は一体何だろうか。

今日は初めて上京して簡易宿泊所に泊ま

りながら、其処からよく行った懐かしい公

園を探しに行ってきた。西大久保公園、抜

弁天北公園、東大久保公園と3箇所を回っ

た。昔の記憶の風景は全然なかったが地

理的に西大久保公園だったのじゃないかと

思う。現在は敷地半分に建物が建っていて、

公園で寝泊りする人がないように柵がして

あり、夜間は施錠するようになっていた。


もっちゃんは工業高校を卒業してテレビ局

に勤めていた。訪ねて行くとビックリしてい

た。喫茶店に行き今迄の経緯(いきさつ)を

話した。


すると表情が曇った。「実は一緒に住んで

る女性が居て泊める事が出来ないんだよ。」

と悪そうに言った。所謂同棲だ。


これ以上深入りはしたくなかったので当て

はなかったが、「じゃ~良いです。」と答えた。

「生活はどうするの?新聞配達ならその日

に住む処と食べる事は出来るし、勉強する

時間もあると思うけどね。」と教えて呉れた。


「ウン、考えておく。」とその場を別れた。風

雲の志を持って上京したが早くも出鼻を挫

かれた格好だ。世間の荒波を乗り切るには

余りにも世間知らずであった。


さてもう頼る当てはない。兎に角生活を何と

かしないと・・・直ぐに新聞を買って求人募

集を見付け応募し、大久保辺りの簡易宿泊

所に泊まった。簡易宿泊所は3畳程の広さ

で何もなかった。夜露を凌げば良いやと思

った。


面接は3日後となった。応募者は4人だった。

一人短大卒が居たが間違いなく通ると思っ

ていた。自分を採用しない会社だったら見

る目がないと高を括っていた。


面接では此方の希望はきっちりと伝えた。

面接官が「仕事と勉強が重なったらどうしま

すか?」と聞いてきたので、「仕事も勉強も

支障のないように早く済ませます。」と答え

た。そうしたら面接官が笑っていた。


3日後に電話するとまさかの不採用だった。

「俺を落とすようじゃこの会社は長く続かな

いな。」と思ったが、さて困った。


近くの公園でパンを食べながら絶体絶命と

なった自分を感じた。


         西大久保公園
桑原爺さん日々雑感 


その時爺さんの身体中に今迄眠っていた

侍魂がメラメラと燃え上がってきた。爺さん

の遠い祖先は小さなお城ながらも老中を務

める武士であった。


関ヶ原の合戦では西軍につき東軍に滅ぼ

されたが自分にもその侍魂がある筈だ。た

とえ一人になっても最後まで戦い抜ける筈

だ。


そんな事を感じていた時、「兄ちゃん職を探

してるんか?」と一人の男が近づいてきた。

眼鏡を掛けて一見インテリ風ではあった。


「俺の用事で人に会ってお金の入った封筒

を貰って来る仕事や。貰った1/3をやるがど

うや?1回1、2万にはなると思うがやらない

か?」


これはかなりやばい仕事じゃないかなと直

観した。しかし所持金はそろそろ底を付きか

けてる。何とかしなくては・・・


「そやな、1週間経ったら家に帰らなあかん

ので1週間ならやっても良いけどな。」「そう

か、よし決まった。しかしそんな学生みたい

な格好じゃ具合が悪いから、服を買ってや

るから着換えな。」と言って洋服屋に連れて

行かれた。


着替えが終ると打ち合わせがあると、話す

内容や態度振る舞い、もし警官が来た場合

の対処方法等細かく指示を受けた。


その後何やら電話をしていたが、「話しが付

いた。これから仕事や。」と車で大きなビル

の前に連れて行かれた。


愈々やばい初仕事だが仕方ない。受付に

行って名前を告げると大きな部屋に案内さ

れた。中では小太りの幹部らしい人が深々

とお辞儀をした。


ソファーに座って打ち合わせの通りある事

ない事べらべらと喋った。20分程すると「今

回はこれで宜しくとお伝え下さい。」と白い

封筒を差し出して頭を下げた。


それを受け取って玄関に出ると車が前に進

んできた。車に乗り込み「これ貰ってきたで。」

と封筒を手渡すと、「お前大した度胸やな。

確りしたお兄さんが来たので多目に包んで

おいたとさっき電話があった。今迄ほんとに

学生やったのか?しかし俺と良いコンビに

なりそうやな。」とニヤッと笑った。封筒の中

には10万円入っていた。服代を差し引いて

2万円呉れた。


こうして1週間に何社か回って20万円程稼

いだ。暫く生活には困らないお金が手に入

った。こんなやばい仕事は稼いだらさっさと

止めるに限る。


「残念やな。また東京に来たら連絡呉れや。」

と電話番号を渡されたが二度と掛ける事は

なかった。


次の段階はもっちゃんの言う通り新聞配達

を考えていた。もっちゃんから聞いた武蔵小

山のお店に行った。


お店に入ると、番頭さんのような人が出てき

て、「内は大学生や浪人の人達が殆どです

から、勉強するには良いですよ。」と言って

呉れた。やれやれこれで一安心だ。


この番頭さんは何年も司法試験を受験す

るも合格出来ず、夫婦赤ちゃんの3人で此

処で一緒に住んでいた。この番頭さんとは

何故か気が合って色々便宜も図らって頂

いた。そしてこの人こそが爺さんに相場を

教えて呉れた人物だったのだ。


学力は財力だと考えている。余程の天才で

もない限り人間の能力なんてみんな同じだ。

本人にその気があって家に金さえあればど

んな大学のどんな学部でも簡単に受かると

今でも思っている。


中学校のトップクラスで進学校に入学した

者は自分より成績が悪かったが全員国立

大学に現役で合格していた。


金がなくて物凄く悔しい思いをした事が爺さ

んを相場へと駆り立てたのだろう。しかし相

場をやるにはある程度纏まったお金が必要

だ。よし相場をやる為に、大学に入って養父

の言う通り建設業でお金を儲けて金を貯め

るぞと秘かに決意した。


今度は懐かしい武蔵小山でも行ってみるか

な。

昨日は風が強く帽子が何回も飛ばされそう

になった。しかし今日は、風は余りないが暑

い日となった。


駅の近くを通るとで笹飾りがあって、浴衣を

きた女性が短冊に願い事をどうぞと言って

いた。


そうか今夜は七夕だ。一年に一度しか会わ

ないのに情熱が冷めないのは立派だ。葉隠

の忍恋は男女間の恋愛にも共通するので

はなかろうか。

桑原爺さん日々雑感