2024年6月のバイク旅で利尻・礼文を巡った後、6月21日、札幌から積丹半島の島武意海岸を経由して神威岬に行きました。

バイクの車載カメラとしていたアクションカメラを胸の前に着け、ボディカメラとして岬の先端部まで撮影したのがこちらです。

先端までは速足ですが、途中途中で写真を撮ったり、人の渋滞にあったりしながらビデオの時間からすると20分かからない17分ほどで着きました。

この神威岬を歩き始めてまず面白く思うのが、

この女人禁制の地神威岬の門。

このジェンダー平等の世の中、当たり前に女性も通過しているのを見るのも一興です。

でも何故女人禁制となったのでしょうか。

日本の各地のお山でも女人禁制の山があったと聞いていて、女性は汚らわしいみたいな男性優位の思想から女性が入ってはいけないみたいな風習かなと思っていました。

この記事を書くにあたり一応ChatGPTに聞いてみると、

「神威岬にはアイヌの女性「チャレンカ」がいました。彼女は愛する男性を待つためにこの地に身を投げ、魂が岬に宿ると信じられていました。そのため、女性がこの地に入るとチャレンカの霊を怒らせ、海が荒れるとされていました。このような伝説から、神威岬は長い間女性の立ち入りが禁止されていたのです。」

との事でした。

真偽のほどは分かりませんが、記憶の片隅に多分ピリカ岬だったと思いますが、北海道まで落ち延びた源義経がアイヌの娘と恋仲になったものの、義経がモンゴルに渡り?いなくなったことで、アイヌの娘が岬で身を投げた、的な話を聞いたような気がします。

アイヌでは娘が岬から身を投じることが多いのでしょうか…。

伝説は伝説として、過去に思いをはせる程度でうやむやが幸せかもしれません。

女人禁制が解除されたことについてはChatGPTによるとはっきりとした年代については不明との事です。

もしかして、写真を見ると門の左右に告知板のようなものが写っているのでそこに謎部分が全て記載されていたかもしれません。

こんなことも旅の後のまとめの楽しさですね。

ビデオを見ていただければ岬の遊歩道の状況が分かりやすいと思いますが、

こんな感じで広いところと

狭いところ、極端なところでは建築の足場のような所もありました。

先端近くには灯台もあります。

先端は神威岩を背景に写真を撮る人でにぎわっています。

中国からか台湾からか分かりませんが、そのような言葉が飛び交っていました。

写真からも分かると思いますが、海の色はきれいな積丹ブルーでないのは曇り空であったからです。

色が鮮やかではなかったにせよ海のきれいさは分かります。

花が咲いた風景を見られるのはこの時期だからこそです。

神威岬からは宮城に戻るため、苫小牧のフェリーターミナルを目指します。

しかし、今回のバイク旅のメインは利尻・礼文でありましたが、もう一つ、積丹半島の神恵内・泊の爽快道路を車載映像に収めることです。

それを収めたのが、

こちらです。

この道路、「日本海追分ソーランライン」と呼ばれているようです。

20年近く前ですが、バイクで走行しきれいだった思いが残っていて、今回ビデオにと思った次第です。

ただ、天気の状況もありますが、利尻・礼文を巡った後では感動は…、でした。