2019(令和元)年11月1日の河北新報に、我が母校である石巻市門脇小学校を覆っていたシートが取り外され、来週から震災遺構とするための工事が始まる旨の記事が載っていました。
震災では津波が押し寄せ、その後がれき火災に見舞われ無残な姿になり、6年以上の間劣化を少しでも防ぐためシートで全体が覆われていました。
震災遺構としては全体保存ではなく部分的な保存となるそうです。
工事が始まれば取り壊される部分もあるため、全体を見ることができるのは工事が始まるまでの間となります。門脇小学校全景

生まれ育った南浜町界隈は完全に震災前の姿をとどめておらず、唯一門脇小学校だけは変わり果てた姿ではありますが原形をとどめています。
早速全体像を記録として残すため石巻まで駆けつけ写真におさめました。
敷地にはフェンスが張り巡らされ、校庭より内側には入れずフェンス越しの見学撮影です。
久しぶりに見る門小は思いのほかきれいに見えました。
2011年5月、7月に見た際は火事によりかなり黒ずんだ壁でありましたが、長年の風雨のためか洗われたり剥がれたりしたのでしょうか。

門脇小学校正面

門脇小学校正面

門脇小学校正面時計部分

壊れた窓越しに当時のままの下駄箱やロッカー、テレビ台などが見て取れました。

門脇小学校下駄箱門脇小学校門脇小学校

門脇小学校

門脇小学校

自分が通っていたころは1学年6クラス、1クラス40数人いたと思います。
トイレは水洗式であったと思います。そのトイレの出入り口の近くには水飲み場もあったと思います。
正面エントラスには皇帝ペンギンの剥製と南氷洋の捕鯨船のクジラ用のモリが飾られていました。
また正面右に購買部があったように思います。
その購買部の2階には放送室があったのではないでしょうか。
正面エントランスから入りそのまま奥の方に進むと給食室があり、給食の際はそこまで給食を取りに行ったり下げに行ったように思います。
給食室に向かう途中、階段そばには給食用エレベータもあったと思います。
給食室からさらに右奥には渡り廊下を渡って木造の旧校舎があり、5年の時はその旧校舎だったような気がします。
正面玄関から北側には職員室や理科室、保健室などがあったかな。
音楽室は3階だったかなと50年も前の記憶をたどりながら写真を撮りました。

門脇小学校

門脇小学校

このように実物を見ながら記憶をたどれるのは門小だけであり、他は建物だけでなく道路も含め南浜町は震災前と完全に変わってしまいました。
幼き日々の思い出は記憶の中だけの世界となり、実際に南浜町の地に立っても記憶をたどる具体的なものはありません。
ふるさとを失ったという感じです。

門脇小学校

門小だけでも震災遺構として残ることがありがたく思います。