『文七元結』というのは江戸落語では大ネタ中の大ネタで、私がこれを初めて聴いたのは三遊亭圓生のテープだったがあまりの良さにシビレタ!!
ヘ(゚∀゚*)ノ
身投げしようとしている手代を救うために、身を切られるような思いで50両ポーンとくれてしまうのは、ある意味事故だったかも知れない、
ところが、
店では掛取りに出した手代がいつまでも帰らないから主人をはじめ皆が心配してその帰りを待っていた。実は、この手代は50両を掏られたと勘違いしていたがそうではなく、掛取り先で碁に夢中になって金をそっくり忘れて来ただけだったのである。
σ(^_^;)
先方ではわざわざ使いを出してその50両を届けてくれたのに、ずっと遅く帰って来た手代(この手代の名前が文七なのだが)が、「ただ今戻りました」と何食わぬ顔をして更に50両出したのだから、そりゃあ誰だって驚くのである。
文七から訳を聞いて、50両という大金を投げ出した名も知らぬ人の心意気に打たれた主人は、もちろんこのまま放っては置けないので、文七の記憶を手掛かりについに左官を探し出し、
翌日には文七を伴って、お礼の酒を持って、50両を返しに左官の長屋を訪れるのだが、
主人が手代の命を救ってくれたお礼を言い、当然左官から貰った50両を返そうとすると、左官はそれを頑として受け取らないのである。
(^_^;)
この件、志ん朝版で再現すると
「・・・そうですかァ、でもね、せっかくねェ、これェ(金)持ってきてもらって申しわけねぇんですが、これァ、あっしのほうじァ、受け取れねェんでござんすよ」
「あの、なぜ?」
「なぜも何もねェやな。ええ?あっしはこの野郎にやったんだから。ええっ?やったものは受取れませんよ、ね。さァ、どうぞ、持って帰っておくんねェ」
「いえ、それはあたくしのほう、困りますんで、どうぞひとつお収めを」
「いやいや、そうはいかねんだ。いい、いいんだ、気にすることァねんだい。え、まアいいじゃア・・・。(金が)出たっていいじゃアねェか。やったんだからさ、ねェ?もしなんだったら旦那が預かっといて、これ(文七)が今に店ェ持つんでしょう?そんときにゃア暖簾の一枚もこしらえてやっておくんねェな・・・・」
(^o^;)(^o^;)(^o^;)
一度懐から出したものを引っ込めて、また自分の懐に戻すなんてみっともないことは出来ないと云う、やせ我慢もここに極まれりの江戸っ子理論炸裂なのである。
ところで、
ぜんぜん関係ないけど、いま尖閣諸島を買い取ろうと東京都が寄付金を集めたのを、
結局あれは国が20億で買い上げてしまったので14億くらい余っているのを、寄付した人達が「買わないなら返してくれ」と苦情を言ってるらしいのだが、
(-^□^-)
みっともないねぇー、それでも江戸っ子の末かね??
石原慎太郎なんか信じるからこんな事になるのである。一度やったものは意地でも受取るものじゃないのだ。
(°∀°)b
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