ハンデ戦作戦を世に問いたくて始めたブログなのに、このところの不調もあって、すっかり主役の座を『金曜ロードショー作戦』や『馬体重作戦』に取って代わられた感があります。
なぜそうなったかといえば、競馬の予想ブログである以上、当たらなくては意味がないからです。
しかし、他の作戦で的中しても、やはり何か、人の褌で相撲をとっているような感覚になる部分があって、素直には喜べない気持ちが残ります。
それだけ、ハンデ戦作戦には、自分がほぼ独力でデータを蓄積してきたという自負があります。
不調の続く原因は?
ズバリ、(意図的に)わたしのデータにないパターン(レアなパターン、似て非なるパターン)ばかりがこれでもかと繰り返されているからです。
わたしのハンデ戦の心臓は、蓄積したデータにあるので、弱点は、新たなパターンには太刀打ちできないという点にあります。
わたしの対応可能なパターンは、この数十年に現れたパターンなので、数千に渡りますが、それでも、起こりうるパターンはほぼ無限にありますから、守備範囲が広いとも言い切れません。
けれども、数年前までは(このブログを始めた頃までは)ある程度、まあデータで対応可能なパターンで網羅できたと記憶しています。
もちろん、偶然だとは思いますが、これでもかと言わんばかりに対応不可能なパターンが繰り出されるようになったのです。
データの蓄積と守備範囲を広げるためには、新しいパターンの登場は不可欠ですが、それは未来への投資であって、今すぐ恩恵を手にできることとは異なります。
そういう意味では試練の時期です。
ただ、とても疑問に思うのは、その狙いがわからないということです。相手の意図など考えても仕方ないのですが、鮎匠ごときにびびる天下のJRAのはずはないし、偶然と思うしかないのですが、何か釈然としないものを感じます。
という雑感を持ちつつ、今回書きたかったのは、とてもよく出てくるパターンについて書きたかったのです。
5/18(日)のハンデ戦でのことです。この日のハンデ戦は3つ。
その一つは、補集合パターンで、穴馬(イチネンエーグミ)を指名した(結果、2着)京都11R高瀬川特別でした。手の内のパターンだったわけです。つまり、これまでに把握しているパターンならば、十分に闘えるということです。
→の指名先と、🔺や🔺馬自身を除いた馬が2〜3頭の時は、その馬の単複で勝負。
という的中パターンでした。
そして、あとの二つは、いずれも🔺2🔻1かぶりなしというパターンでした。
私の閻魔帳には、🔺2頭を買え とありますが、このところ結果が伴わず、手を出しにくくなっていたパターンです。しかし、ノートをよく見ると、かつての一時期、🔺の指名先4頭を買うようにとも書いてあるのです。そして、この日の結果は、この2通りが仲良く並ぶ形となりました。
したがって、🔺2🔻1かぶりなしのように、よく登場するパターンには、正解例が複数あり、それらを交互に流行らせているのではないかというふうに感じています。
今の流行りが🔺の指名先4頭が優勢で、そのうちに🔺馬2頭に戻る。
今は、そのように解釈する方針です。
(もう一つ、別の要素も絡んでそうなのですが、それはまた改めて)
つまり、閻魔帳に掲載済みのパターンならば、ある意味での1/2パターンの考え方で対処できますが、問題は、新たなパターン、似て非なるパターンです。これが増えていることは事実ですが、これは、見送ることで対応するしかありません。
データを取り始めた頃は、いわば、全てが未知のパターンでしたから。
勝負できないもどかしさはあるものの、初心に帰れと言われているようでもあり、懐かしい感覚も少しあります。
100%を嫌う彼らに対応するためには、こちらが常に固定観念を打ち破らなくてはならないわけです。それをここ数年痛感しています。仮に、このハンデ戦作戦の手法がある程度認知されていったとしたら、この柔軟さは一層必要となるはずです。まあ、広まればの話ですが。そうでないと、
“なんだ、あんまり当たらないじゃん”
って片付けられてしまうので。
まあ、それでもいいんだけど、、、
ただし、これまでのように、立て続けに戦えないパターンが登場したら、焦って似たパターンの答えを代入して失敗するのではなく、その際には潔く『知らないパターンにつき、不参加』と明記したいと思います。
競馬は毎週やってくる。
確度の高いパターンがやってくるまで、じっと、網を張って待つ。
その姿勢に徹した者だけが、勝利🏅を手にするわけです。
というのが、
ハンデ戦作戦の自称元祖?のつぶやきでした。
がんばります。
鮎匠56