ヨガ哲学のヤマ(やらないほうがいい行い)のワナ | Akiのブログ

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yogaと自己想起な日々

皆さんこんにちはニコニコ飛び出すハート

先日、東京に勉強会に行ってきました!

こちらのシリーズ↓



今回の3rdのテーマは【受容】です。


この講座はからだを使ったワークが多いので大好き飛び出すハート

(頭でわかったつもりになってるのと理解度が全然違うよね)



例えば

正座で座って、上から2人の人から立ち上がれないように体重をかけられて抑えられます魂が抜ける


そこに拒否抵抗して立ちあがろうとすると

ぜ〜んぜん立てない無気力


次は抑えられてることを受け入れてでも立ちあがろうとすると


意外とすっと立てるんです昇天



抑える方の体験としては


正座している人が拒否抵抗してるとこちら側もぐいぐい押せる


反対に、受け入れられた状態だと、

抑えようとしても全く押せないんですオエー


問題を解決しようとあの手この手でやればやるほど

問題は力をもって大きくなるということが

本当によくわかります昇天



と、ここで今日の衝撃的なタイトル


“ヨガ哲学のヤマ(やらないほうがいい行い)のワナ”について


【ワナ】なんて書いちゃってるけどわたしはヨガ哲学が嫌いじゃありません。

(というか、とってもすきなんです)


ただ、わたしが最初の頃に勝手に陥ったワナについて書こうと思います。


ヨガ哲学には“ヤマニヤマ”といって


●やらないほうがいい行い

●やったほうがいい行い


というものがあります。


例えば、暴力をふるわないとか嘘をつかないとか貪らないとか、、


本や先生によってはもっと優しい言い方だったりするんですが


当時のわたしは思いっきり

禁忌(やってはいけない)と思っていました。


そういう風に思うと様々な摩擦が生まれます。


当時ヴィーガンをやっていた頃は肉を食べる人に対する嫌悪感。


それが仲のいい人だといちいち口出しをして

聞かれてもいないのによかれと思って

アドバイスをする無気力


今思い起こすと本当に相手に対する思いやりや

配慮が全くないですねオエー

(あの時のあの子やあの方ごめんなさい🙏)


でも、善と悪の二極を超える為にはとことん

飽きるまでやり切ることも大切だなぁとも思います。


盛大な勘違いや正義感をふりかざし

摩擦を起こしまくってきた結果、、


今は割といろ〜んなことがいい意味でどうでもOKになってきましたニコニコ


(じぶんを生きてたら誰かを変えようとか、コントロールしようとか、何かを言わずにいられないとか、そういうのなくなるよね)



そして、無駄な抵抗をやめることで

起こることが起きて

受け入れたうえでじぶんの望みを生きることができる


ということを体感しつつあります昇天


今まで散々ハムスター🐹みたいに走りまくったり(場所、全く変わってない爆笑)


流れるプールをあの手この手で逆流してみたり。

(資格取ったりめっちゃ武器増やしてきた爆笑)


今では終わりのない夏休みを過ごしているような感覚です🌻

(講座の先生のお言葉を拝借しました🙏)


やるべきことも、目指す場所も、期限も制限もないもない昇天



だからといって、いいことだけしか起こらないなんていうことは一切ありません。


(夏休みでも起こることは起こるし

やることになってることはやらされるw)



流れるプールにぷかぷか浮かんで宇宙の流れに沿って生きていきたいなぁ〜と思う日々です昇天






今回の東京旅で遊んでもらった同じ蟹座のおともだち💫


サプライズしようと目論んでたのに反対に

サプライズしてもらっちゃった飛び出すハート

(坂田ファミリーありがとう🙏ニコニコ)