摂食障害になった原因について考えてみた | ゆりまめの医学生日記

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関東圏の医学部に通う、現役医学生です!
毎日の中で思ったこと、考えたことをみなさんと共有したいです。
よろしくお願いします。

 

こんばんは。現役医学生のゆりまめです。

今日のアルバイトも終わりました照れ

 

先日、自分がもつ摂食障害について何回かに分けて書いていきました。

 

自分が摂食障害ということがわかってから、いろいろなサイトで原因や少しでもよくなる方法を調べました。

 

そこでよくよく原因として書いてあるのが

「とても真面目な性格」「完璧主義」「自己肯定感の低さ」

 

確かにそうだなと思いました。

 

思い返せば保育園のころ。キリスト教系の保育園に通っていたので、給食の前に「お祈り」の時間がありました。

「天の神様の~」みたいなすごく長いお祈りだったのですが、クラスで1番くらいに覚えていました。

またお散歩の後にはなぜか毎回、道中にあったお花の名前を聞かれるという結構スパルタなものがあったのですが、「絶対覚えてやろう!」と思って暗記して、真っ先に手を挙げていました。

先生からもらえるメダルの数はすごかった気がする(笑)

このころから先生からもお友達のお母さんたちからも「ゆりまめちゃんはできる子」扱いでした。

 

でも、演劇会や音楽会ではお客さんの方を向けないほどの恥ずかしがり。

家では毎日歌い踊る少女でしたが、いざお客さんの前になるとずっと下を向いていました。

「やること」に対する恥ずかしさというよりは、保育園児ながら「自分がこれをすることって恥ずかしいんじゃないか?」

と自分に対する恥ずかしさによるものだったなと思います汗うさぎ

 

 

小学校に入っても、できる子キャラはそのまんま。

なんでも器用にこなせちゃうタイプ。勉強だけでなく、図工や音楽、習字や家庭科でもよく代表に選ばれていました。

通知表は「よくできる」以外はほとんどとったことがなかった。逆に「とらなければ」とも思っていました。

毎年、お正月の親戚の集まりで私の通知表を見せる、という恒例行事があったのです。

1番年下で周りの大人たちにすんごく可愛がってもらいましたが、「成績表を見せて自分の成績で周りから褒められる」という喜びを知ってしまった。

小学生のころから「自分が喜ぶか」よりも「周りが喜んでくれること」を優先していました。

 

そして成長が早い自分にコンプレックスも持っていました。

身長も1番後ろ(途中で止まったけど滝汗)で生理がはじまるのも早かった。

それが理由で男の子たちからかわれることも多かったのですごく嫌でした。

 

中学生になり、宝塚受験を本気で目指すようになると、受験するにしては身長が低いことにコンプレックスを持ちます。

顔も大きいし、スタイルもよくない。踊りも歌もなかなか上達しない。

勉強もできるほうだけど1番は取れない。

いっつも「できない」「足りない」ところばかりを見ていました。

でもプライドだけ高くてそれを周りに見せないために必死。

 

 

どんなに努力しても必ず自分よりも上がいる。でも、体重は我慢すれば絶対に減る。

それが体重、体型への逃げにつながったのかなと分析しています。

 

 

 

この思考はまだ治ってはいません。

どうしても自分のできない部分を見てしまって、自分を肯定することができない。

「体型以外に自分に何があるんだろう?」と思ってしまう。

 

 

「食べる」ことは悪で「食べない」ことは正

「運動しない」ことは悪で「運動をする」ことは正

「太い」は悪で「細い」は正

 

気づいたらこんな白黒思考が染み付いていました。

 

 

もっと心身ともに健康になりたい。きっと体重が5キロ増えても周りからはほとんど気づかれないことは分かっている。

けれど、治すと決意してからも、何度も何度も戻ってきてしまっています。

でも絶対に治った世界でしか見えないものがたくさんあるはず。

笑顔を見せて心では泣いていることも減るはず。

 

グレーゾーンにいる自分を許してあげて。真ん中にいる自分も悪くないなと思っていい。

いい加減気づけ、自分グーグー

 

 

明日もみなさんにとって良い日になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

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