こんばんは 田中あゆみです
今日は私の最愛の人。祖父について
今年100歳になる祖父はもうかなり前から認知症を煩っています。
親族からは
『同じ話しを何回もする。まともに会話が出来なくなった』
と言われてもう何年も経った気がします。
そんな中何故か唯一お話しが出来るのが私のようで
私が行くと同じ話しは何回もするけれど、内容はしっかり対話が出来ているどころか毎回ありがたいお言葉を沢山頂くことも出来るのです。
そして祖父のお話しは何回でも聞きたい程に素晴らしいお話しばかりだから今でも祖父との会話は本当に楽しい。
ただ耳が遠くなったり…昔ほどのきれきれな質疑応答は難しいですが
祖父が戦後に作った会社は3代目に代替わりし、そして今でも立派に続いている。
私がまだ学生時代
『おじぃちゃまは何の為に生きているの?』
と質問した際には一言
『社会貢献』
と言っていたように講演したり、文書を書いたり…啓蒙活動にも勤しんでいました。
そんな祖父だったからこそ、認知症になったことを周囲が受け入れられなかったのもあったと思います。
両親と信頼関係を築けなかった思春期の私にとって『世の中でたった1人無性の愛をくれる人』
と思っていた事もあったほど特別な存在でもありました。
小さな頃から初孫だったせいもあって本当に沢山のところに連れて行ってもらい、そして常に知識と学びを授け続けてくれました。
地学、化学、国語、道徳…
今でも日々の生活の糧になることばかり教わったきがします。
賢くて、多彩で、強くて、優しくて、ユーモアに溢れている…そんな祖父は例え認知症になったとて、私にとっては今だに偉大な祖父として変わらな存在のままです。
そんな祖父がいよいよ日々顔を合わせている娘である私の母の事を認知出来なくなったときき少し心配をしました…
そんな不安をかかえ会いに行ったのが今日。
軽食をとった後だったようで、(潔癖な)祖父はテーブルの上をお掃除しているようで下を向いていました。
私はひざまずいて目線を合わせ
『こんにちは』とご挨拶。
『どうしたの?』
と返した瞳には恐らく私は知らない人に映っていたようで、初めてみた冷たい目をしていました。
私は一瞬動揺し、とたんに
『あゆみだよ。会いに来たんだよ。』
と、すると私の名前を聞いて、そして会いに来たことを知った瞬間にパッと目の中に光が通ったのを感じました。
『あぁそうか。こんなに可愛い人が会いに来てくれてびっくりしちゃった』
とそこにはいつもの優しくて暖かくてイタズラな瞳がありました。
今日も沢山お話し出来ました。
『本を読みなさい。その知識が人生を豊かにするから。そして文書を書きなさい。』
と昔からいつもいうお言葉。
私の息子をしばらく観察して…(殆どお話ししてないのに)
『この子はお話しするのが好きでしょう。沢山話せるというのは感情を豊かに表現できるということ。素晴らしいね』
『この子は愉しい事が好きな子だから沢山与えてあげなくてはね』
『この子がいろんな事に感動する時、横でただへーって見てちゃダメだよ。一緒になって感動しなきゃ。純情って大事だよ』
いつもながら祖父の観察力と的確すぎるアドバイスには驚かされました。
私の偉大で特別な最愛の人の笑顔があと何回見れるんだろう。
そんなことを考えると悲しくなってしまうけれど、
だからこそ限りある時間を出来るだけ一緒に過ごしたいと思っています。
幸いにも仲良しになってくれた息子と毎回笑顔で付き合ってくれる主人にも本当に感謝です。
大好きだった祖父の作り出すお庭。
四季折々のお花をさかせて、本当に美しく、そこが永遠にあるんじゃないかと思っていたほど私の心のよりどころでした。
目を瞑ると芝生の匂いも暖かく頬を撫でる風や陽の光まで鮮明に思い出せる。
今日はそれらを想いながら眠りにつこうとあと思います。
久しぶりの日記ですが、
今日は本当にただただ私の健忘録になってしまいましたね。
それでは皆様素敵な週末をお過ごしください
ごきげんよう‼️