『ドクトル・ジバゴ』(1965)
ロシアの作家、パステルナークの原作はかつて豪華な装丁本が上下で男子高の本棚にあった事を思い出します
高校の図書室に並べたいと誰が思ったのかは知らないけれど
私が通った3年間、あの本を読んだ人はいたのだろうか。そしてロシア革命の産声から完成までの時間を、愛に生きた人々の姿を理解し得たのだろうか
本作を初めて見たのは中学時代、水曜ロードショーの2週放送。それでも大幅なカットはされていたでしょう
ただ、名画に触れる馴染む親しむという入門として、テレビ番組の吹き替えカットは子供が西遊記を絵本で知るように、怪談を一話ずつ知るように有効で
男3人の愛の囁きを無下には出来ないラーラの純粋かつ強い生き方は、この2週放送の間に恋だの愛だのまだ気にも留めない子供心へ
あの(ラーラのテーマ)と漠然としたロシア革命のもたらした哀しみを伝え
ユーリの苦しげに路上へ倒れ込む姿や、第一次大戦で行方不明になる青年革命家の強烈なイメージチェンジの姿を記憶に焼き付けてくれたのです
その後、映画館で2度見たのですが
頭に入りきらないのです。ラブストーリーを心のどこかで忌避していて小難しく評価しようとしたからかもしれません
今回かなり純粋に見る事が出来ました
歳をとると小難しい部分を頭が勝手に処理してくれて、美しく厳しい大地に生きる糧としての愛を求め合う男女の強さに
うっとり見惚れるのでした
そこには必ずモーリス・ジャールのメロディが寄り添っています
異文化間の協調と反発を見つめ
人の生き方を見つめたデビッド・リーン監督
この作品は愛の形を様々な角度から見つめて、私たちの未来への道程をも照らす
極上の映画体験です