映画感想「八百万石に挑む男」 | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います

『八百万石に挑む男』(1961)


享保年間の出来事に
天一坊改行なる山伏が品川宿近くにて(世はいずれ大名に取り立てられる身である)と称して浪人を集めているとの報を得た関東郡代が不審に思い、捕縛
やがて勘定奉行により裁かれ死罪を申し付けられ、鈴ヶ森で斬首された男が
紀州田辺の生まれで、母はかつて和歌山城への奉公時代に紀州藩主時代の徳川吉宗の手がついて里へ返されたのだという

さて、ことの真偽は藪の中
それでも人は噂を好み夢を描きます

幕府全盛には勿論作り話も叶わなかったでしょうが
やがて語呂と字面の良い(天一坊)は大悪党として名を高め、幕閣でも数少ない人気者であった大岡忠相の時代の出来事である事から、かの
(大岡政談)の一つにされてしまい
芝居に講談、小説や映画・テレビにと、もうやりたい放題の巻ですね


…青年が賭場で金に替えようとした小刀を見て、用心棒をしていた赤川の目の色が変わります
しかもその逸品にお墨付きまであったとなれば
その素性を知らずとも
賭けに出たくなるのは浪人だからか、生まれついてか

赤川は朋輩、藤井の叔父で美濃常楽院の僧・天忠に青年を会わせます
紀州で寺に預けられていたという彼の話は十年を遡り
その思い出に天忠もまた、賭けてみる気になったのか
彼に天の一字を与え(天一坊)と名乗らせ、代官所へ御落胤さまが座すと知らせるのでした

いざ、江戸へ繰り出さん
そう支度を始めていた矢先、天忠の友人だと名乗る男が訪ねてきます
京都、九条関白家にかつて仕え高い見識でその人ありと言わしめた
山之内伊賀亮は、天一坊に拝謁するや席を立ち踵を返します
「伊賀亮、待て!私を偽物と思うのか!」
贋者なれば贋者らしく、徳川幕府に勝負を挑む気があるかそれとも無いか
伊賀亮は彼の気持ちを試すように、確かめるように
声を掛けてきました

天一坊の気持ちの中にあった迷いが消えたと見た伊賀亮は態度を改め、徳川幕府にどう向かい合うかを話し始めるのでした

突然現れる将軍の御落胤
本人はどうあれ、幕閣はどう出る
伊賀亮の思惑の先で立ち塞がるのは先ず老中
松平伊豆守
そして、吉宗の懐刀とさえ謳われる紀州以来の腹心
町奉行、大岡忠相

江戸幕府始まって以来の頭脳戦が
幕を開けます

いやもう格好いい男たちの静かな戦いにシビレます
何せ伊賀亮と忠相が共に(潔さ)を湛えているので言葉に迷いがなく、見るものに熱気を伝えてきます
伊賀亮の心底には、後年幕府の終焉を招く尊王思想があるというのも面白い性格造形ですし
天一坊を(らしく)育てる中で、彼に父性を注ぎ
自分には得られない、子の悲しみ苦しみを受け止めようとするクライマックスなど
熱くならずにはいられません

チャンバラ(殺陣)は無く、日本の演劇人がかつては皆が学び演じた(腹芸)を
存分に堪能できるのも見所でしょう
(腹芸の解釈を(へそ踊り)と同一視して間違えている人が多いので注意してください)

橋本忍 氏のシナリオは娯楽に徹した作品として充実していて、見事な起承転結が楽しめます
中川信夫監督作としては、大蔵貢が率いた新東宝での活躍に比べるとあまりに堅実過ぎるかもしれませんが
その力量は存分に堪能できました
一見の価値ある、堂々とした作品です


昭和36年・東映
監督〜中川信夫
脚本〜橋本忍
出演
市川右太衛門
中村嘉葎雄
水島道太郎
柳永二郎
河原崎長一郎/坂本武
徳大寺伸/仲谷昇
桜町弘子
山村聰
河原崎長十郎