映画感想「この子を残して」 | 大TOKYOしみじみ散歩日記

大TOKYOしみじみ散歩日記

お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います

『この子を残して』(1983)


長崎で放射線科の医師として従事していた永井隆は、長年の仕事から自らが放射線を浴び命が削られているのを感じていましたが
戦下のなか、休む事もままならないで妻の緑に心配をかけていました

激しい空襲が長崎にも続き8月8日、永井は息子・誠一と娘・茅野を妻の母・ツモが暮らす山間の木場へと疎開をさせました

翌9日
この日も朝から病院へ勤めに出ていた永井
緑は近所の人たちと自治体の訓練に駆り出され、漸く昼食の支度に取り掛かろうとしていました
11時2分
木場の疎開先で川遊びをしていた誠一は浦上の方向が明るくなるのを目撃
やがて突風が川の水を大きく波立たせます

二発目の原子爆弾がこの日、長崎に落とされました

映画のクライマックス、永井博士の言葉の後から始まる長崎原爆投下シーンは鑑賞当時19歳だった私の心を強烈に打ち据えました
綺麗な映画館でなく、築地の松竹本社の小さな試写室で息を殺すようにして見たのも影響があるかもしれません

ストーリーの流れは被爆された永井博士が自宅跡に建てて子供たちと住いし始めた(如己堂)での質素で温かい、でも原爆と戦争の追い討ちはまだまだ襲ってくる、という中で「長崎の鐘」を執筆してゆく話でした

浦上天主堂を代表するカトリック信者の多い長崎への原爆投下は
実験を兼ねた戦争という狂気を如実に物語、本編でもそうした事への言及は成されていました
(永井ご夫妻も敬虔な信者でした)

ただ、それ故に
信仰心からくる相手への赦しもより強く強調される果てに、有名になっている原爆の惨禍を映し出すクライマックスがあり
見る側は試練を与えられているような気持ちになる人もいるでしょう

私は戦争という狂気の前には神も仏も放って置かれるんだろうと思いますが
見る人により意見が色々出るのは良い事です

テレビドラマに傾いていた仕事を「衝動殺人・息子よ」の成功から再び映画へと比重を掛けていた