映画感想「デビルズ・ノット」 | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います


『デビルズ・ノット』

1993年5月5日に起きた、小学生3名の殺人遺棄事件

早期解決からの焦りが、潜在意識に眠っていた偏見を目覚めさせ
現代の殺人事件が魔女狩りさながらに、根拠も証明もなおざりに、ヒステリックに容疑者を吊し上げてゆく様が


静かに残酷に描かれます

状況証拠も無く、精神疾患の青年からの誘導尋問の返答を全面的に指示して進行する裁判は
病気の子や自閉症の子、または独りで居る事が楽だと感じている子が、社会生活に馴染んでいないというただそれだけを忌み嫌うように悪人へと祭り上げてゆきます

黒魔術に興味を抱いたり、その類いの本を持っている事が
青年を死刑にまで導いてゆく理不尽さは、他人事ではない恐怖を感じさせました

アメリカの南部だから、大きな国の田舎だから起きたんだとは思えません

初動調査で事件の周辺住民を調べる時に
独り暮らしの男性の趣味嗜好を調査するくらい、どの国の警察も行います
なにかを切っ掛けに、参考人にならないとは言い切れませんからね

無期懲役や死刑判決が出たにも関わらず、彼らは18年後に未執行のまま超法規的措置で出獄はしているようですが
真犯人は未だに見つからず、彼らの無実も晴れてはいません
(犯人らしき人物や不可解な行動をした人物がいるのに、捜査をしなかったのです)

3人の少年の家族が悲しい想いをした上に、間違いでまた3組の家族が悲しむのは止めなくてはと立ち上がる探偵

コリン・ファースが素敵です

殺された少年の母親で、自分へ言い寄る男性に不信感を抱きはじめる

リース・ウィザースプーンが別人のような疲れた母親を演じます

少年たちが次々と遺体で見つかる前半はショッキングでいたたまれないのですが


そんな気持ちが、歪んだ正義感となって
白い目で見られていた青年たちに牙を剥いたとすれば
正義感とは、なんだろうと考えてしまいます

滑らかに調子よく(殺された子達と一緒にいた)と偽証する少年や、青年たちが人を殺した事を話していたと証言し指をさす少女など
被害者や容疑者と歳の変わらない子供達までが取り憑かれたようになってゆく怖さは

外国では常識的な
(子供は可愛いだけじゃない)
という見本を示されているようでした

サスペンス、というより集団心理・ヒステリーの顛末を見るような社会派の力作です

見応えがありました

(2016.6.11より転載)