今年もまた「日本の黒い夏/冤罪」を見終えた | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います


『日本の黒い夏/冤罪』

1994年6月27日に起きた(松本サリン事件)を背景に
人がいかに容易く現実を歪んだ形で受け入れてしまうか
社会がいかに容易く個人を窮地に陥れるかを描いた

熊井啓 監督の憤りが伝わる映画です

見謝ってはならいのは、この作品がオウム真理教による犯罪を糾弾する為に作ろうとしてはいないという事
熊井監督が描きたかったのは

一方向からだけ時物を論じては間違いを犯す場合もあるという教訓であり
あの日、ニュースを時系列で見聞きした大半の日本人が、一人の市民を犯人だと思い込んだという事実への悔恨と反省なのだと思います

純粋培養されたような青少年

正義感と好奇心の狭間で給料を得ているマスコミ



実際に事件を追取材した、ドキュメンタリーを撮った高校生の実話を素に
熊井監督が書き下ろしたシナリオは、激しい憤怒に充ちています
映画という娯楽の範疇からは逸脱して、自分の気持ちを赤裸々に饒舌に述べています

この映画を見て、つまらないと思うのは当たり前なのです
もはや、監督には事件の真相や展開を映画らしいテクニックで表現してやろうという気持ちは無かったのかもしれません

一人の真面目な市民が、家族を傷つけられ自らも倒れ
子供達の心配をしながら警察とマスコミに犯人に仕立てあげられ
日本中から非難を浴びた、その時間を

詫びろ!と言いたい気持ちで一杯だったのだと思います

そんな熊井監督の気持ちが乗り移ったかのような作品が
面白い・面白くないと、白黒をつけられるほど私は事件を割り切っては見られないのです
あの日から、真犯人が判明するまで
私たちは皆、事件の当事者だったと思っているので

私は公開から毎年5~6月に本作を見るようにしています

それでしか、あの日あの時
冤罪だなんて全く考えもせずに疑った事への反省を表せないし

そうする事で
ニュースと偉い人の話は疑う気持ちを忘れないようにする為に
(^ω^)


事件から22年目
あの日の様子はテレビで見て、忘れられません

ひどい喧騒と赤いランプの明滅は、映画より凄かった
野次馬とマスコミの怒号も聞こえたし、テレビレポーターの後ろでおどけている若者もいました

いま、私たちは
さらに進化した情報社会で、キチンとした取捨選択が出来ているのでしょうか

野次馬はSNSを駆使して更に厚かましくなり、マスコミは情報を精査せずに垂れ流しては非難され
警察は不祥事やミスを今でもしています

あの日の出来事が、なんら反省材料とならずにいる限り
この映画はその価値を損なう事はないでしょう