自分でどうにかできるのに誰かを可哀想にみるのは、投影だと思います。自分のことを可哀想に思っているから。

例えば、虐待をされている子供を可哀想にみる。

虐待と言っても種類があります。

今は助けてくれる場所もあるし、子供が自力でどうにかできることがある。

だから私は日本では虐待されている子供の全てを可哀想に思うことはありません。

例えば、親に殴ったり怒鳴ったりされる、のなら、上手く切り抜けたら、逃げることも可能な年ってある

本当に可哀想なのは、全く逃げられない状態、赤ちゃんだったり、監禁されてやられる場合。

児童相談所の救うべき子供ってそっちだよね。

私の子供たちは、携帯電話やタブレットを持っていて、父親との連絡も出来ました。

子供の側から助けを求めることが出来たんです。

メールも出来た。

それすら出来なくさせられる子供っているよね。そういう子供は親の怒りによって、虐待される可能性が上がってしまう。

子供を取り上げることになにか意味があったのか、疑問です。

それから、それに賛同したりした人にも疑問を感じます。

そんなことやられたら子供に何をされるかわからないから、必死で守ることは当然だよ。

だから、子供ん拉致して、隠して、子供に連絡手段も取らせなくさせて、虐待をしていた可能性すらある。

それに賛同したって、それを利用して自分が活躍しようとか、自分がになるなんて、最低なことなんだよ。

拉致されたとき子供は携帯電話を持っていたのに、子供たちの携帯電話は返却されました。

子供に嘘をついて、無理矢理母親の嘘を吹き込んだり、洗脳したりしていたと思います。


日本の行政の問題は、社会全体の問題だ。

無視しておいて自分が活躍しようなんて、あり得ない話だよ。


自分でどうにかできる人を可哀想にみるって、自分を可哀想に思ってる。

本当に可哀想なのは、自分でどうにも出来なくさせられている方だ。

自分がなぜ可哀想なのかなんて、自分を見つめたらわかるだろう。

自分でできる。

妖怪可哀想なは、注意が必要だと思います。